浜口京子はプロレスラーに? 憧れの父の背中
8/29にTBS系「ZONE」で放映された、浜口京子(レスリング)オリンピックへの軌跡・・・
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オリンピック直前8月8日、浜口道場での最後の練習。浜口京子が口を開いた。
「不器用かもしれないけれど、誰よりも練習したし、誰よりも人生懸けました。もう、時は来た、と思います!」
橋本真也の「時が来た」というセリフを意識したかどうかはわからないが、金メダルを確信して出陣したオリンピック。浜口京子の結果は銅メダル。準決勝では、スコアボードでの得点表示ミスなどが途中であり、すっきりしないカタチで中国の王旭に敗れた。しかし、準決勝の日の午後に気を取り直した3位決定戦で勝利。
「メダルは銅ですが・・・金メダル以上のものを経験しました。ひとりで生きてるんじゃないんだな、みんなで支えあって生きてるんだなと思えるオリンピックでした」
オリンピックで女子レスリングが正式種目になるのは初めて。京子はすでに5度、世界選手権を制していた。オリンピックは京子がレスリングを始めて13年目に位置づくという。
次の目標を探し続けているうちにオリンピックにたどりついたということだと思うが、「13年間ひとつの夢を追い続ける」というのは、尋常なことではない。
父である元プロレスラー・アニマル浜口のキャラクターがクローズアップされ続けたオリンピック報道だったが、13年間があってのあの父親の力・気合いの入り方があると思うと、グッと重みを感じた。(ボクの方も“観たい”という25日間の想いの積み重ねを経て、やっとこの原稿を書いてる日に録画を観ることができたわけで。)
さて、この番組には、京子のレスリングを始めるモチベーションを語った貴重な映像も入っていた。画面は15歳の浜口京子にタイプトリップする。
京子「・・・やっぱ、レスラーになりたい」
アニマル「レスリングっていうのはな、ハードですよ。殴ったり、蹴っ飛ばしたり、関節を決めたり・・・」
京子「お父さんが、なにゆおうと、なるっ」
京子の目には涙。憧れであり誇りだった父の背中を見てきた京子の決意。「そこまで言うなら世界一になれ」という父・アニマルのメッセージ(何でもいいから世界一になれ、乞食なら世界一の乞食になれとアントニオ猪木に説いた猪木のおじいちゃんに通底するセリフだ)。特訓が本格的に始まっていった。
・・・ここでふと気になる。「殴ったり、蹴っ飛ばしたり、関節を決めたり・・・」? それって、レスリングというよりもプロレスを指しているのではないか。
浜口京子がプロ転向したらどうなるんだろう? 間違いなく女子プロレス界は活性化し、脚光を浴びることだろう。小川直也のように、総合での顔とプロレスでの顔と、両方を期待されるのだろうか。今のところは番組の中に「次は北京(オリンピック)」と口にする父の姿があるにはあったが・・・。
ボクが1995年3月に長州&アニマル浜口の試合打ち上げ会に参加したとき、玄関先でボクの応対をしてくれて、浜口夫人に「お母さん、岡山(当時の坂井は岡山から東京に転勤したばかり)の坂井さんという人が来てくれとるよぉ」と伝言してくれた。あどけないあのときの京子ちゃんがたくましく成長した2004年の夏。次の目標をどこに置くのだろう。
どういう進路を選ぶにせよ、プロレスラーとして闘っていた父の姿を自らのモチベーションとしているならば、そんな京子さんには、私たちはぜひラブコールを送りたいではないか。
カクトウログからのメッセージ。「オリンピックではなくプロレスだからこそつくることができる感動」を知っている京子さん、ボクらはあなたが四角いリングで闘う姿を待っています!
■□(原則敬称略とさせていただきました)
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