ノゲイラやヒョードルを発掘・・・最驚!アキラ伝説
入門してからひと月たった前田日明に、猪木が「好きなようにかかって来い」とスパーリング。いきなり張り手を見舞った前田は、続いて目潰し。猪木がうめきながらのけぞったところへ・・・
急所蹴り狙いで踏み込む前田。ところが、猪木は倒れながら前田の身体をひっくり返し、腕を決めて叫んだ。「スパーリングっていうのはレスリングをやるんだっ」
今日は、そんなアキラ兄さんの伝説を伝えよう。
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まだまだ知らないことがいっぱいあるもんだな。さすが『Number』だな。
そう思わせてくれたのは、同誌605(7/8)号「最強に至る道」。PRIDEグランプリ2回戦を巻頭にしながらも、「総合格闘技の源流をリングスに探る~前田日明が築いた礎」記事は秀逸だった。
多くのファンは、前田日明(1999年2月、VSアレキサンダー・カレリンで引退)がリングス(2002年2月より活動休止)という団体を率いていたことを知っている。PRIDEが発足する前に、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラやエンリヤーエンコ・ヒョドルを日本マットに上げたのもリングス。
ゆえに、PRIDEの隆盛はリングスの開花とみるファンも、一部にはいる。
ロシア勢をはじめとする有望選手をブッキングするため、おそらく前田は既存団体にはなかった真摯な交渉を重ねたのだろう。そこまでは予想の範疇だが、今回の記事では、リングス運営時のより突っ込んだ事実が記されていた。
前田はロシアへと向かった。(中略)昼はサンボやレスリング、柔道の選手とスパーリングをした。相手はアマチュアのトップクラスばかりで、体格も良く、力も強かった。前田は彼らを相手に「リングスでやろうとする試合」を懸命に伝えた。
「一緒に練習して、口だけじゃなくて実際に『自分はこれだけ出来る』と見せないと信用されないからね。あの頃は、自分で言うのもアレだけどよく出来たなって思いますよ」
どうですか? すごく想像力が膨らみません?
PRIDEやK-1もなかった当時、総合格闘技とは何をするものかを、自らのスパーリングや強さをもって伝承していた前田。国家からの恩恵をペレストロイカで失った選手たちは「格闘技で食える道」を探していた。そんな彼らに、前田は、アマチュアでもない、プロレスでもないサムシングを必死に伝えようとした。地と汗のにじんだ産物として、ヒョードルらの発掘があるのである。
この記事には、他にも、ロシア人の酒に徹底的に付き合ったとか、「猪木のように約束を守らないのはイヤだ」というマイナスからのスタートだったとか、「オランダをUWFに入れたら日本人は淘汰されかねない、でもしょうがない」という前田の意向がUWF分裂の一因とか、興味深い話題のオンパレード。
‘94年のロシア・エカテリンブルグでのロシア大会終了後(中略)当時、リングスは大会終了後に出場全選手を集めてミーティングを開くのがならわしだった。ジュースやスポーツドリンクを手にした選手と関係者を前に、前田が大会を総括する。そして、この言葉で締め括る。
「ウィ・アー・オーバー・ザ・フットボール、ウィ・アー・オーバー・ザ・ベースボール!」
前田の言葉に呼応して、全員が手にした飲み物を高く掲げる。我らリングスをサッカーや野球をも超えるものに―――。
ぜひ、興味のある方は、『Number』605(7/8)号「最強に至る道」を取り寄せてほしい。同号には「総合よりもプロレスを」と叫ぶ小川直也の真相に迫った「拭えない総合格闘技への違和感」も掲載(こちらもオススメ!)されています。■□
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