過去ネタ! 長州力の恐るべしプロレス観[後編]
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10・9両国で異様なまでの存在感を放った長州のプロレス観を、1998年引退試合直後記事から追う・・・前回更新時刻までに入力し切れなかったところをアップしますね!
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プロレスを知り尽くした男・・・長州力
/1998作品 T.SAKAi
~前半は10・15カクトウログでアップしています~
時は流れ、1995年9月23日横浜大会。UWFインターナショナルとの対抗戦第1戦に、長州は自ら出陣した。
「長州自身は、ほとんど自分から仕掛けていかない。それなのに、試合は長州ペース。安生が何を仕掛けようと、それを完封し、ねじ伏せてしまうのだ。(中略)長州の目的は、試合を試合として成立させることにあった。新日本とUインターは数々の因縁を残している。ましてメンツの懸かった対抗戦。ひとつ間違えたら、プロレスの枠を逸脱する危険性もはらんでいる。緊急状態が起こったら、俺が力づくで軌道修正する。それが長州の考えであったと思う」(金沢氏)。
※1997年11月2日発行別冊宝島特別編集プロレス読本FILES Vol.3『「革命」に魅せられて・・・長州力名勝負Best20』より
そしてきわめつけは、試合後の長州と永田の会話。
「(互いの目を潰しあった安生と永田が熱くなったことについて)永田、仕返しで安生の顔を殴ったのか!?」
「いえ、狙ったわけじゃないです。向こうが防御して動き回るので、たまたまパンチが目に入ってしまったんですよ」
「そうか・・・、わかった。もしオマエが“やり返した”と答えていたら、俺はオマエをクビにするところだったぞ」
金沢氏はこれを「すべてを計算しつくした長州力の強さと怖さ」とまとめている。この考えをどう評価するかは、プロレスファンの中で分かれるだろう。「感情にまかせてやり返すのがレスラーであってほしい」という願いと「感情を技の応酬で表現してほしい」という願い。
ただ私としては、改めて長州を「プロレスを知り尽くした男」であると結論付けさせられた。高度化した現代プロレスの中では、この長州のプロレス観に異論を唱えることはナンセンスだろう。イデオロギー闘争は、多団体時代という状態で終結している。そんな中「vsラリアットプロレス」というカタチで「vs長州力」という視点を見い出した西村修の動向に、私はハマっている。
西村修のIWGPも2・7(※1998)札幌で実現。猪木超えの時代は通り越し、猪木・藤波回帰のムーブメントが始まった。西村による「無我」は藤波の「無我」よりも面白そうだ。
私もそうとうアンチ長州ファンなのかもしれない。長州が引退してもなお、私の中にある「vs長州力」は消えないし、消えたときは私がプロレスファンをやめるときだろう。そんな屈折した長州への感謝の気持ちが、この原稿を書きながらこみ上げてきた・・・。
1998.2.23 T.SAKAi■□
※カクトウログの前身会報(紙媒体)「陰陽通信」第8号より
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ときには過去の名勝負や見解も振り返ってみる・・・そんなファンの“日記”カクトウログでは、過去ネタも大切にし、今回のように身内中心で発信していた“会報”(カクトウログより読者は小規模)からご紹介することもあります。時間がたっても変わらぬカクトウログスタイルにおつきあいください。
(そういえば、さいきん過去ネタが減ってるなぁ・・・。)
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