本日、GK金沢氏、重大発表!
深夜残業からの帰りには、小雨がちらついていた。たどりついたのはコンビニ。週刊誌の束を見つけたボクは、店の兄ちゃんに「プロレス雑誌、来てます?」すると、その表紙オビに踊っていたのは・・・。
* * *
週刊ゴング金沢編集長、10月15日付で降板! 次号から吉川編集長体制へ。
週刊ゴングが前週で「重大発表」と予告したのは、このことだった。巻頭記事では、金沢氏が編集長就任後の出来事をキーワード「長州力」「大仁田厚」「小川直也」で振り返っていた。
会社は金沢氏に週刊ゴング・プロデューサーなるポストを用意。並んだ金沢氏の言葉。
「一度の給水を申し入れた」
「新しい自分を見つけなければならない」
「ゴングの事だけではなく、業界全体の底上げに
尽力すべきだろう」
「私はこれからもプロレスと闘い続けていく所存だ」
金沢氏、いったいどこへ行くのか・・・?
* * *
■カクトウログによる世界一熱い
金沢 克彦(かなざわ・かつひこ)ストーリー
通称GK(ゴング金沢)。1961年12月13日、北海道出身。小学校1年のときにプロレス初観戦、そのときに馬場・猪木組を見る。1984年青山学院大・経営学部を卒業。“フリーターのハシリ”期間を経て、『週刊ファイト』に応募。「J.B.エンジェルスとは何か?」「関西の牙とは何か?」といったオールプロレス問題の入社試験に「やった!」と叫ぶ。
また「ファイト、週プロ、ゴングの違いを書きなさい」の解答として「ファイトは“新日”寄りである。一言で言ったら“週刊・猪木”である」と書き、井上編集長を喜ばせる。500人以上からの3人採用に生き残り、1986年新大阪新聞社に入社。『週刊ファイト』記者として同東京支社で活動。
しかし、「タバコ買おうか、晩飯食おうか」という生活にピリオドを打とうと、1989年11月、日本スポーツ出版社に入社。『週刊ゴング』編集部遊軍記者として1年の活動後、1991年に新日本担当記者となる。週プロ的ともファイト的とも言われた記事を書く金沢氏だったが、小佐野編集長の後継として1999年1月より『週刊ゴング編集長』を務めてきた(第6代)。
新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』の解説でもお馴染み。先日の10・9両国大会のメインを「IWGPのベルトが泣いてる。IWGPはベルトを奪う闘いじゃないんですよ。誰が強いか、この新日本で決める闘いですから。試合内容が伴わないと納得いかない」とバッサリ。取材力を武器に、プロレス復興のためにペンと解説席で闘ってきた。
「新日本プロレスが分裂していなければ、格闘技に負けないものが出来た。」
「この仕事は、プロレスをリングサイドで見ることができてすごく楽しい。冷めた目では見てないと思う、興奮するときはするし、感動もするし、泣きそうになることもある。プロレスが好きだし、プロレスラーが好きだから。」
※カクトウログの前身・陰陽通信第6号その他より
T.SAKAi■□
Topics
・話題騒然・・・秋涼爽快の候に格闘技ブログサイト決定戦!
・GK金沢氏の決断[プロレス週刊誌MIP]/カクトウログ関連記事