元全女社長・松永氏が自殺
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情報をまとめておきます。今年2005年4月に解散した全日本女子プロレス、解散時社長だった松永国松氏、享年63歳。
・ 全女最後の社長が飛び降り自殺(ニッカン)
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全日本女子プロレス解散時の社長だった松永国松氏が17日午後6時すぎ、東京・品川区内のビル7階から飛び降り自殺していたことが18日、分かった。目黒区内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。63歳だった。自殺の理由は分かっていない。
国松氏は全女を経営した松永一族の四男で、二男健司氏、三男高司氏、五男俊国氏とともに68年の旗揚げに参画。ジミー加山の名前で団体のメーンレフェリーも務め、数々のビッグマッチを裁くなど活躍した。フロントとしては主にマッチメークと巡業の責任者を務め、ビューティ・ペア、クラッシュギャルズを擁した黄金時代を支えた。選手からは「国マネジャー」と慕われ、選手の管理部長的な存在だった。
団体は97年10月に、バブル崩壊に伴う外食産業、不動産などのサイドビジネスの破たん、女子プロレス人気の低迷から2度目の不渡りを出し、事実上倒産した。だが、残った選手とともに興行を継続し、最後まで団体を守り続けた。
全日本女子最後となった4月17日の後楽園ホール大会ではレフェリーとして試合を裁いた。終了後には健司副会長とともにリングに上がり「37年間、応援ありがとう。こんな終わり方で、ファンに申し訳ない」と土下座して謝罪した。
全女旗揚げに参画した松永兄弟では、元社長の俊国氏が02年9月22日に心不全で57歳の若さで死去。高司元会長は病気のため、現在は自宅療養している。
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新日本プロレスは1972年の設立だが、全日本女子プロレスはもっと前の1968年の設立。この4月に解散するまで、日本最長の歴史を持つ団体である。栄えるときも苦しいときも生き延びていく。その執念は、経営する松永ファミリーによって生まれてきた。
それが会社の存続を断つのではなく、自らの命を絶つなんて・・・。
『週刊プロレスモバイル』より追加情報をピックアップ。
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・ 広報を務めていた松永正嗣氏がFAXでコメント
「既に報道されておりますが、全日本女子プロレス株式会社社長 松永国松が8月17日、逝去いたしました。この度このような事故がおき、皆様に多大なるご心配をおかけして大変申し訳ございません。
葬儀につきましては、個人の意向をふまえ、親族内での密葬とさせていただき、無事終えることができました。この先、沈静化することを心より望みます。状況が状況なので、家族の気持ちを一番にご理解ください」
・ 元全女の高橋奈苗、Hikaruのコメント。
奈苗「色んな思いがあるんですけど、とにかく天国に行ってほしい。国松さんが全女を背負ってきたっていう重みがあるんだなって。全女がなくなる前にHikaruと3人でジョナサンに行ってて・・・“ジョナサン会議”っていうんですけど。私たちが全女の中で浮いてたから、こっそり『負けるな』って味方になってくれましたね。巡業の朝練でコーチを国松さんがやってて、元ボクサーだからパンチを教えてもらったりしてね、元気があった人。本当におじいちゃんみたいだった」
Hikaru「何回も逃げ出したりする私が弱いのを知ってるから、いつも『本当に強くなればいいんだ』って励ましてくれて『お前たちしかいないんだ』って言ってくれてね・・・。もっと(自分が)頑張ればこんなことにはならなかったのかなって。一番の思い出はジョナサン会議かな。そこで絶対にビールを飲むの。お葬式とかの機会はないけれど、ビールをたくさん持っていってあげたいな。フラッシュ7は四十九日前だから、来てもらいたいですよね。リングサイドで見てもらいたい。フラッシュ7でも何かをやってあげたいという気持ちはあります」
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『東京スポーツ』紙には次のような情報。
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・ 北斗晶「国マネージャーは北斗晶を作った人。『北斗~っ』って言うだけで、何が言いたいか分かるほどの関係だった。全女の中では国マネージャーに一番思いを寄せていたし、向こうもそうだったと確信している」
・ 全女は4月17日に後楽園ホールで解散興行。しかし、団体解散は正式に発表されず、内部は再興派と解散派に分裂。全女には松永高司会長、団体の今後を託された松永正嗣氏もおり、国松氏にすべての経営責任があったわけではない。しかし、6月初旬に国松氏と会食した関係者「心労のせいか、以前より弱っていたように見えた」
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経営難から団体としてのギャラの遅延・未払いなどが話題となりましたが、国松氏の評判はよいみたいです。団体としての負債は30億円以上・・・そのいろんな責任をかぶってしまったのか。遺書はあったが公開はされないそうです。
4・17解散興行後も正式に解散宣言がなかったことは、選手からの反発、ファンからの不信感を生んでいた。それが実際にも、再興派と解散派の分裂があったんですね。でも、あまりにもの負債額にはどんな判断をしていいかわからなくなったであろうことは想像できる。その中で思いつめたり、体調を崩していった部分もあったんでしょう。
プロレス界にとってもひじょうに暗い影を落とす事件となった。7月にはレスラー・橋本真也さんが亡くなったばかりであるし、プロレス団体の社長では2002年のFMW荒井昌一社長の自殺が記憶に新しい。『東京スポーツ』紙では2003年のDSE森下直人社長も「最近のプロレス関係者の自殺」として荒井さんとともに囲み記事になっていた。
ひとつひとつ、事情が違う。だけれども何らかの形での会社からのプレッシャーや借金は直接的・間接的要因となっている。こういう事件をプロレス界の現状と結びつけて語るのは強引過ぎるとは思うけれども、もうちょっとずつバラバラじゃなくて手を取り合うプロレス界であってもいいんじゃないか。悲しい事件のたびに思ってしまう自分もいて・・・。
御冥福をお祈りします。
[8/20 1:15追加リンク]
ダンプ松本選手がつづってました。慕っていたようです。
↓今日 国マネージャーが火葬された。あまりにもショックで悲しすぎる! 横浜アリーナで全女の為に試合やってくれと国ちゃんに頼まれたから・・国ちゃんに頼まれたから復活したのに。辛いっす!淋しすぎる・・・
・ 残念(127Kgの成長日記 ダンプ松本)
・・・トラバが2回飛んでいるのはココログ上の事故です。ときどきどうしてもこうなる、すみません。
■□T.SAKAi
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