金沢克彦氏、ゴングを退社
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本日11/30発売『週刊ゴング』No.1102号で、金沢克彦・前編集長(現プロデューサー)が日本スポーツ出版社退社を発表した。12/1よりフリーとして再スタートを切るという・・・
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退社について触れられている箇所は2か所。
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(疾風怒涛!GK激場2005 「今週のひとりごと」)
突然ですが、『疾風怒涛!GK激場』も今週で最終回となります。私ごとで恐縮ではありますが、このたび11月末日をもって16年間、在籍した日本スポーツ出版社を退社し、フリーとして再スタートを切ります。『週刊ゴング』からも一応は卒業のつもり。卒業証書はないけれど、自分自身で“卒業”を決めました。この道を行けばどうなるものか? 迷わず行けよ、行けばわかるさ。今はまさしくその心境。ゴング愛読者の皆さん、今までありがとう。そして、またどこかでお会いしましょう。GK(=ゴングの魂・金沢)より感謝を込めて。
(いざ、世直し!!ターザン山本!×GK金沢 巻頭“突撃”座談会<最終回> 写真説明部分)
・・・昨年10月から同プロデューサーに。思うところあって11月末をもって退社、12月1日よりフリーとなる。今後はGKから“FK”(フリーター金沢)となるのか?
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ゴングの代名詞ともいえる金沢氏の退社には、正直驚いた。「卒業」「思うところあって」と、具体的な理由は明かされず。編集長退任時には発表前号で“重大発表”との予告があったが、今回は予告なし。発表も、本文ではなく周辺説明部分で触れられているだけ。見出しもなかった。ひっそりと、淡々とした発表となった。
金沢氏。彼のやってきた仕事は、プロレスマスコミを“超えて”いたことに特徴があった。
記憶に新しいのは、ターザン山本!氏が安田忠夫に『週刊ファイト』紙でインタビューをしていたときのこと。当時、安田の連絡先が関係者に知られていなかったのだけれど、金沢氏は知っていた。山本氏は金沢氏を窓口にして、安田をブッキング。たしか安田は「今後も金沢さんに連絡してくれ」みたいなことを言っていたと思う。
プロレスラーにとっての金沢氏。相談したら乗ってくれる。ネットワークを使って、解決策をさがそうとする。だから、金沢氏のまわりのプロレスラーが困っているとき、こんどは自分が協力したくなる。
いい意味で“癒着”とか“仕事”という次元ではない。金沢氏がプロレス界のためを思って、選手たちがちゃんと動いていけるように行動してきた。やっていることがプロレスマスコミを超えていた。だからこそスクープが回ってくる面もあっただろうが、それ以上に選手のガンバリ、試合の素晴らしさにスポットを当てた記事に特徴があった。
プロレス人気が下火になり、誰よりも(かつての担当団体)新日本プロレスがバラバラになったことを残念がってきたのが、金沢氏。まるで同じように、彼が今回ゴングから抜けることは、プロレスマスコミがパワーダウンすることにつながる可能性もある。
しかし、もともとプロレスマスコミを“超えて”いた金沢氏が、やりたいことを貫こうと考えた。そのとき、ゴングにいることがきゅうくつになり、ゴングにいるとき以上にプロレス界に貢献する生き方を選んだんじゃないか。そう思うのだ。
今後の金沢節がどう炸裂するか。期待したいと思う。
■■■金沢 克彦(かなざわ・かつひこ)ストーリー■■■
(※「カクトウログ: 本日、GK金沢氏、重大発表!」に一部加筆)
通称GK(ゴング金沢)。1961年12月13日、北海道出身。小学校1年のときにプロレス初観戦、そのときに馬場・猪木組を見る。1984年青山学院大・経営学部を卒業。“フリーターのハシリ”期間を経て、『週刊ファイト』に応募。「J.B.エンジェルスとは何か?」「関西の牙とは何か?」といったオールプロレス問題の入社試験に「やった!」と叫ぶ。
また「ファイト、週プロ、ゴングの違いを書きなさい」の解答として「ファイトは“新日”寄りである。一言で言ったら“週刊・猪木”である」と書き、井上編集長を喜ばせる。500人以上からの3人採用に生き残り、1986年新大阪新聞社に入社。『週刊ファイト』記者として同東京支社で活動。
しかし、「タバコ買おうか、晩飯食おうか」という生活にピリオドを打とうと、1989年11月、日本スポーツ出版社に入社。『週刊ゴング』編集部遊軍記者として1年の活動後、1991年に新日本担当記者となる。週プロ的ともファイト的とも言われた記事を書く金沢氏だったが、小佐野編集長の後継として1999年1月より『週刊ゴング編集長』を務めた(第6代)。
新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』の解説でもお馴染み。
2004年10・9両国大会のメイン(藤田和之、不可解なフォール負け)を「IWGPのベルトが泣いてる。IWGPはベルトを奪う闘いじゃないんですよ。誰が強いか、この新日本で決める闘いですから。試合内容が伴わないと納得いかない」とバッサリ。取材力を武器に、プロレス復興のためにペンと解説席で闘ってきた。
金沢氏の発言から。
「新日本プロレスが分裂していなければ、格闘技に負けないものが出来た。」
「この仕事は、プロレスをリングサイドで見ることができてすごく楽しい。冷めた目では見てないと思う、興奮するときはするし、感動もするし、泣きそうになることもある。プロレスが好きだし、プロレスラーが好きだから。」
2004年10月15日付で週刊ゴング編集長を降板(編集長在任は5年9か月)、吉川編集長体制へ。
週刊ゴングプロデューサーとして、ゴング内ではターザン山本!氏を含めた座談会、連載「疾風怒濤GK激場」を中心に記事にかかわる。
2005年11月30日発売分『週刊ゴング』1102号で、日本スポーツ出版社(週刊ゴング)退社を表明。
■□T.SAKAi
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