映画『力道山』
pick up 4日(土)15:55からフジテレビで『PRIDE.31』放送!
日本プロレス界の父である力道山。彼の生き様を描いた映画。プロレスファンにとっては、故・橋本真也さんの遺作としても興味深い。いよいよ本日3月4日、日本公開!
[写真]PR用のチラシをデジカメ撮影
↓日韓合作映画。ソン・ヘソン監督、ソル・ギョング、中谷美紀、藤竜也出演。
・ ソニー・ピクチャーズ - 力道山
解説をピックアップ。
・ 『月刊ゴング』の初代編集長・竹内宏介氏ロングインタビュー(力道山ミュージアム)
・ 力道山とは?(力道山ミュージアム)
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1924年 11月14日誕生。
※出生地については、現・北朝鮮にある南ハンギョン県という説もあるが定かではない。
1940年 相撲部屋への入門を許可される。
1950年 5月 関脇(第3位)から大関(第2位)に昇進が決まっていた場所直前に番付が降格。
1950年 9月 力士を廃業。
1952年 2月 プロレスラーになる修行のため、ハワイへ渡る。
1953年 7月 日本プロレス協会を設立。
1954年 2月 シャープ兄弟と世界タッグチーム・チャンピオン・マッチを開催。試合は引き分けに終わるが、力道山は決め技の空手チョップで国民的ヒーローとなる。
1963年 12月8日 東京、赤坂の「ニュー・ラテンクォーター」で刺される。
1963年 12月15日 腹膜炎による合併症で、39歳で亡くなる。東京の池上本門に埋葬される。
★力士の階級では第3位に当たる関脇にまで昇進した。相撲の最高位である“横綱”になることを夢見て、自分の人生の10年間を相撲に捧げた。しかし、“横綱”になれるのは生粋の日本人だけ、ということを知り、日本の国技を捨ててプロレスラーへの道を選んだと言われている。国籍など関係なく力道山は運命と戦いながら、とうとう日本のヒーローになった。こうして、力道山は日本でのプロレスリングの創始者となり、彼の指揮の下、プロレスは当時日本で最も人気のあるスポーツとなった。彼はまた、多くの優れたレスラーの育成もしており、その中にはアントニオ猪木、ジャイアント馬場や大木金太郎(韓国名:キム・イル)などがいて、力道山の遺したものを受け継いでいる。
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戦後に「憎き外国人を空手チョップで倒す力道山」が国民的ヒーローになって、テレビを普及させていった。これ以上のシチュエーションはない。日本人はもちろん、力道山を日本人だと思い込んで応援していた。野球やオリンピックの前に、プロレスあり。
実際は朝鮮人だった力道山。今でこそ、外国人天国となって国際化している大相撲。だけれども、当時はいろいろ難しかったようだ。力道山の半生のようなものは、ボクはマンガで読んだくらい。映画でポスターに使われているキャッチコピー「日本人がいちばん力道山を知らない。」なかなか興味をそそられる。
プロレスファン的に、キャスティングをチェック。力道山の息子である百田光雄が所属のプロレスリング・ノアが協力。
木村政彦モデルであろう井村昌彦役に、船木誠勝。
遠藤幸吉役に、秋山準。
豊登役に、モハメド・ヨネ。
ハロルド坂田役に、武藤敬司。
東浪役に、橋本真也。
シャープ兄弟に、マイク・バートン&ジム・スティール。
アトミック役に、リック・スタイナー。
力道山門下生役に、橋誠、塩崎豪、吉田孝志、百田力(力道山の孫)。
日本映画、韓国映画通して、これだけの規模でプロレスが描かれるものは初めてでしょう。たまには映画館に足を運ぼうかな。
※専門家の『力道山』映画評を2つ紹介
↓橋本真也、最後のファイトに号泣。そこそこ長いこの場面で、彼は新日本プロレスのストロングスタイルを思わせる黒いパンツ姿でリングに上がり、力道山と共に存分にプロレスを見せてくれる・・・
・ 超映画批評『力道山』60点(100点満点中)前田有一(映画批評家)
↓妻のあやを演じた中谷さんの口調がやわらかで、ほっとなごむ。家庭にやすらぎを、よき妻を、求む気持ちが良~く分かります。同性から見てもこのような奥さんだったら、いいわ~と思える・・・
・ 『力道山』(2004)[RIKIDOZAN] - [映画]All About(南樹里)
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