高阪剛がハント戦後、前田に電話【週刊 前田日明】
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前田日明が足りない世の中に、とことん前田日明を発信してみる。毎週日曜日は、前田日明関連の動きをできる限りカクトウログが追う「週刊 前田日明」の日です。連載第34回のラインナップ▼高阪剛がハント戦後、前田に電話▼ハッスルの報道に「前田日明」の名が・・・
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1日遅れですが、連載を更新。
情報をキャッチしていながら、最新1週間(月曜から土曜まで)で取り上げなかった前田日明&ビッグマウスの話題、あれば翌週送りせず日曜にまとめる。あと、1週間で取り上げた前田関連記事、主要記事リンクも再集約しておくことにします。
(週刊前田日明バックナンバー →「週刊前田日明」参照)
この連載を毎週見ておけば前田関連の動きは逃さない!
理想はそこですが、どうなるか。
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引退を賭けた5・5PRIDE無差別級グランプリ1回戦、マーク・ハントとの一戦。高阪剛は生き様を見せつけた。
『kamipro』No.99(6/2号)より、高阪剛インタビュー。
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――(試合後のバックステージ)ジョシュ(・バーネット)は号泣だったらしいですね。
TK 「そうですね。泣かれちゃったから自分も泣いちゃいましたよ。ジョシュがあまりにも泣くもんだから。彼が10代のころからの付き合いですからね。あいつがUFCチャンピオンになるまで練習もしたし、セコンドもやった。自分がリングスで試合あるっていうときは毎日練習つきあってくれたし」
--師匠、前田(日明)さんとはお話になりましたか?
TK 「試合後に電話しました。とにかくお礼が言いたかったんで、前田さんに。それで『お疲れさん』って言ってもらえましたね」
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高阪と前田日明が電話できる間にあることが嬉しい。前田が社長だったリングス、高阪は主戦場としていた。一方で、90年代後半は日本人として初めてUFCレギュラーとしても活躍とある。(同kamiproより)。
そして、リングス最終試合での「これから自分が上がるところがリングスです」という高阪のマイクが忘れられない(2002年2月15日、宇野薫との5分エキシビション)。
高阪は前田を“師匠”として尊敬しながらも、前田からいい意味で独立・卒業していたんだろうな。いまの格闘技界では、もう特定団体のためだけに尽くすという価値観が見合わない。それだけシビアであって、自分を守れるのは自分だけ。
一緒にやる・やらないを超えていく。自らが活躍できる場が選択できたときには「おめでとう」と言える。そうした個を尊重しあった同士での“絆”が持てるようになった間柄を、「家族」と現代では言うのだろう。
同Kamiproには、「18年前、前田日明に死ぬほどシゴかれた人」田村潔司と「前田日明にいまシゴかれてる人」所英男の対談もあり。「僕が風呂に入っているあいだに前田さんが料理をしてくれる」という所に田村は驚きを隠せないでいた。また、5・3HERO’S中継を観た田村のお父さんが「あの覆面レスラーはお前か!?」と聞いてきたんだという(笑)。この対談も要チェック!
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ハッスルの記事ではあるんですが・・・。
・ カイヤの店がM軍に襲われた!(デイリー)
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高田モンスター(M)軍のアン・ジョー司令長官が14日、高田総統を侮辱したカイヤに報復すべく、東京・自由が丘の雑貨店「カイヤのお店“Caiya”」をジャイアント・バボと襲撃。
「ココですカ?」。覚悟を決め、ドアを激しく開けた。その姿は、あくまで別人であるが、94年12月、ロスのヒクソン道場に殴り込み、99年11月に前田日明を襲撃した安生洋二をほうふつとさせた。
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思わぬところで「前田日明」の名が!
事件はUFC-Jの大会(東京ベイNKホール)中、1999年11月14日に起こった。
・ 安生、RINGS前田社長を襲撃(Total Fight News 1999年11月前半:BoutReview)
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視察に訪れた前田社長は、大会終了後いつものように記者陣に囲まれ、セミファイナルに登場したリングスの高阪剛の戦いぶりなどについてコメントした。そしてコメントが終了、前田氏が一人でバックステ-ジに立っていた一瞬の空隙に事件は起きた。当初同大会への出場を表明しながらも、負傷のため欠場した安生が背後から駆け寄り、前田社長の側頭部を殴打したのだ。前田社長はそのショックで昏倒、受け身を取れないまま、地面に頭部を強打し、数分間意識不明となった。前田社長は近くにいたモーリス・スミスに介抱され、高阪らの控室に運び込まれた。一方、安生はそのまま山本喧一、KEI山宮・高橋義生らパンクラス選手の居る控室に立てこもった。
バックステージはしばらくの間緊張状態となったが、その後、安生は記者を振りきって素早く控室を退出。前田社長もドクタ-チェックを受けた後、自分で歩行し、控えていた自家用車で市内の病院に直行したため、二度目のニアミスは回避される形となった。診察におとずれた病院でも入院等はしておらず、深刻な症状はなかった模様。
事件後安生はUFC-Jのフェアウエルパ-ティ-にも参加しており「サムライの設立パーティー(96年6月)で前田に殴られたので、今日は仕返しをした。計画的犯行ではない」と本誌記者の取材にコメントしている。
UFCのスター選手から、リングス・パンクラス・修斗といった日本を代表する格闘技団体の選手までが一同に会し、総合格闘技のオールスター戦という様相を呈した同大会で、UWF時代から引きずる前田vs安生という因縁が元で起こったこの騒動は、マット界に新たな波紋を広げることになった。
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それまでの流れはこちら。
・ CAPTURED 2~格闘王・前田日明 選ばれし者の恍惚と不安、我にあり~
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▼1991.1.7前田宅 UWF選手会の席で、”UWF解散”を宣言。 前田がある選手(※宮戸、安生と言われている)の発言にキレたとの噂。
▼1994.1.21武道館 前田、トーナメント優勝で完全復帰を飾る。試合後、「誰が一番か決めればいい」とUWFインターとパンクラスに宣戦布告。
▼1994.2.15 UWFインター(※安生が所属)が「1億円トーナメント」開催を5団体へ呼びかける。 他団体は拒絶・黙殺したが、前田は「全面対抗戦」を提案。
▼1994.4.9 Uインターの安生が前田に対し挑発。前田も「売られた喧嘩は買う」として対抗戦を要求。
▼1994.4.13 RINGSがUインターとの対抗戦問題に終結宣言。
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以前の“襲撃”は6年以上前の話。当時のボクは事件モノの記事は避けていて、あまり読んでなかった気がする。大事に至らなくてよかったが、格闘家がやるべき行動じゃない。もっとも、前田も暴力を(別の場で)振るっていたと安生は主張。
ハッスルでは、この前時代的なアクションをやる安生も立派だが、そこに前田との事件を取り出して突っ込む新聞もスゴイ。おかげで、「前田日明 安生洋二 襲撃」で検索したら、カイヤの店の記事の方が大勢じゃないか!(笑)
今週の【週刊 前田日明】はここまで。
次週も前田日明を追いかけます!
● 前田日明&ビッグマウス関連 ●
ほぼHERO’S関連、というか桜庭和志の記事ばかりになっていますが・・・どうぞ。
□ 桜庭和志vsヒクソン・グレイシー、高まる噂 2006 5/21
□ サクのファイナルアンサー?/kamipro No.992006 5/20
□ BML旗揚げDVDが8位/TBSランク王国 2006 5/19
□ 桜庭和志、HERO’S移籍の舞台裏/週刊現代 2006 5/16
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・ 週刊 前田日明 ~unofficial~
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