藤波辰爾、34年前と同じように「旗揚げ戦第1試合」に出場
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8・2後楽園ホールでプレ旗揚げ戦を開催する「無我ワールド・プロレスリング」。未定となっていた藤波辰爾の相手がマーク・マッカイに決定した。試合順は第1試合・・・
・ 藤波の相手はマーク・マッカイに決定=8.2新無我伝説
(スポーツナビ)
・ 無我公式ホームページ
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■新無我伝説エピローグ「~BLACK CAT MEMORIAL~」
8月2日(水)後楽園ホール 開始19:00
[1]藤波辰爾vsマーク・マッカイ
[2]後藤達俊vs竹村豪氏
[3=セミ]吉江豊vs長井満也
[4=メイン]西村修vsヒロ斉藤
※ブラックキャット引退並びに追悼セレモニーも行われる予定。
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マーク・マッカイとは? スポーツナビのつづき。
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これまで未定だった藤波辰爾の相手は、オーストラリア出身のマーク・マッカイ(35歳)に決定した。マークは1993年、アメリカに渡り、カール・ゴッチの流れをくむラリー・マレンコ道場で基礎を学び、アメリカのWCWやオーストラリアのマットで活躍している実力派だ。マークは「私は無我には大きな関心を持っておりました。ミスター藤波と対戦できますことに最大なる敬意を表したいと思います」というコメントを発表している。
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『週刊ファイト』No.1982(8/2号)には次のような情報。
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・ 藤波が合流すると仮定して、西村修、田中秀和氏が対戦候補としてピックアップしていたのがトニー・セントクレアー。藤波参戦が決定してすぐオファーを出し、8・2後楽園での来日の確約も取り付けていた。しかし、その2日後、セントクレアーは自宅において脳梗塞で倒れた。幸い大事には至らなかったが、来日不能に。
・ 最終的に決まったのが、オーストラリアを主戦場にするマッカイ。2000年9月、本名のマーク・メルセデスの名で『世界のプロレス』に来日経験がある。当初は9月の旗揚げシリーズ以降に招聘予定だった。前期のような事情から前倒しにして参戦オファーを出したところ快諾。日本では無名ながら、1993年にフロリダ州タンパのマレンコ道場でレスリングを学んでいる。
・ マレンコ道場卒業後にWCW参戦。1997年にはオットー・ワンツ主宰CWAのキャッチトーナメントにワンシーズン参戦。同時期にCWAマットに遠征した西村の好敵手でもあった。
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トニー・セントクレアーのことは心配していたが、「大事には至らなかった」とのこと。ホッとした。
藤波辰爾の対戦相手。「マーク・マッカイ」、「マーク・メルセデス」(本名)ともに検索してもそれほど引っかかりません。無名ながら、団体の方向性をまかせられる選手として選ばれたんでしょう。
それにしても、渋すぎる対戦カード。集客は度外視。エンターテイメントとしてお客さんを呼ぼうとはまったく考えられていない。まさか、この大会をデートがてら観戦するファンもいないでしょう(笑)。ここまで徹底できることに妙な強さを感じる。
ボクは当初、西村修vs藤波辰爾でくるんだと思ってました。『無我』興行は藤波や西村が新日本プロレス時代にもやりました。何が面白かったか? それは、西村がリスペクトする藤波に挑んでいく姿だったんですよね。ボクは藤波と西村が絡む大会、絡まない大会、両方の『無我』を観戦したことがある。2人の絡みがなかった日はかなりツマらなかった(ちなみに、ブラック・キャットも参戦していて、意外と順応したことに驚いたりもした)。
グラウンドの応酬は好きなんですが、やはりそこに“図式”がないと観る側からも面白くない。当時はそれを改めて確信させられました。他の何でもない、『無我』で西村が藤波越えをめざす。そこにドラマがかつてあった・・・。
そんなことを考えながら、数日前だったかなと記事を読み返す。おっ、こんな言葉が。
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西「チケットの売れ行きで考えると、嬉しいことに、ファンは評価してくれているようです」
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さぁ、西村の言葉に耳を傾けよう!
・ 浩子のまんま 鈴木浩子の月イチ新連載!! 第4回目ゲストは西村修(無我ワールド・プロレスリング)
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浩「メジャーでは大衆が喜ぶものを見せる必要があるし、インディーでは、万人ウケしなくとも、ある趣向では確実にウケるものを見せる。確かに役割の違いってありますね」
西「その《役割》も《持ち味》もごちゃ混ぜになってしまって、メジャーの敷居が無くなってしまった。そうなるとファンを沸かせることばかりに集中するようになって、一つ一つの技も、ここまでの流れや伝統もそっちのけで、《奇をてらう》ことばかり考える。珍しいだけのものはそのうち飽きる。《人のやってないことを…》という方向に走りすぎて、結局自分を見失うんです。逆に気がついたら皆一緒になっちゃってて(笑)。これは絶対的に業界全体の低迷を呼ぶ原因になってると思うんです」
浩「確かに。けど人間って、悪くなると状況を打開するために慌てていろいろしたくなるものなんですよね」
西「僕の哲学としてですけど、流されないものを持つことが大切だと思うんです。僕はドイツやアメリカへ渡って、尊敬する大先輩方、例えばアメリカではヒロ・マツダさん、ドリー・ファンク・Jrさん、カール・ゴッチさん、欧州で一緒だったフィッツ・フィンレイ…彼らから学んだのは、時代に軽々しく流されないものを持つことだったんです。僕は日本に戻ってきて、ずっと一人でもそれを続けている。そうして丁寧に、忠実にやっていくことで全体の《重み》が出る。この重みを出すというのは、唯一メジャーだけが出来ることのはずなんです。能も歌舞伎も何でもそうです」
浩「なるほど…。人は焦る。だけど、そこで流されずにどれだけ腰をすえて我慢できるか、そこが大切ですよね」
西「ところが新日本はそこに逆行してしまった。僕はむしろ、そうしてメジャーで培われた伝統や歴史や、その敷居を守りたくて新日本を辞めたんです」
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うーん、一理ある。考え方にブレはない。新日本は自団体の興行への集客を考えるあまり、団体の権威や選手の気持ちをないがしろにしてしまった。そのツケは間違いなくきている。西村の出した結論が“狭すぎる”くらいのところからの再出発だったんでしょう。
藤波の旗揚げ戦第1試合。34年前もそうだった。
・ 1972年3月6日大田区体育館:旗揚げ戦
(「新日本プロレス」黙認ホームページ)
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■旗揚げオープニングシリーズ3/6 大田区体育館
試合開始6時40分 観衆 5,000人(主催者発表)
天候:晴れ
▼20分1本勝負
[1]○エル・フリオッソ(6分20秒、片エビ固め)藤波辰巳×
▼30分1本勝負
[2]○イワン・カマロフ(12分20秒、体固め)木戸修×
[3]○魁勝司(11分20秒、逆さ押さえ込み)ブルックリン・キッド×
[4]△柴田勝久(17分10秒、両者リングアウト)インカ・ペルアーノ△
▼60分3本勝負
[5=セミ]豊登、山本小鉄(2-1)ジョン・ドランゴ、ジム・ドランゴ
○山本(15分10秒、体固め)ジム×
×山本(15分10秒、体固め)ジム○
○日本組(15分10秒、体固め)外人組×
▼時間無制限1本勝負
[6=メイン]○カール・ゴッチ(15分10秒、体固め)アントニオ猪木×
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かつての藤波ファンが多くいるであろうサラリーマン世代が観戦しづらい平日夕方に、『無我ワールド・プロレスリング』プレ旗揚げ戦。藤波、そして西村は“意味のある”出発を成し遂げられるか。
■□T.SAKAi
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