最後のプロレスラー、柴田勝頼HERO’S出陣
pick up “力道山”の墓参り、柴田、気を引き締める@船木誠勝┃『ディファ・フェスタ2007』開催決定┃高岩がムシキング狩りへ、4.28ノア武道館でテリーとの防衛戦決定=ZERO1-MAX┃当サイトも、誤報を広めるきっかけとなったことを、心からお詫び申し上げます@かなたく
いよいよHERO’S初参戦が3月12日と迫ったプロレスラー・柴田勝頼。2006年末に「来年は総合にチャレンジします」と連絡を受けていた金沢克彦氏が、柴田の生き様をつづった・・・
・ OLYMPIA HERO'S 2007 開幕戦 ~名古屋初上陸~(HERO'S公式)
・ 所がっかり、永田の負傷欠場でまたも対戦が消滅=HERO’S/お笑い界から「塩コショー」参戦、モーは急死した弟に勝利を誓う(スポーツナビ)
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「HERO’S2007開幕戦~名古屋初上陸~」
3月12日(月) 愛知・名古屋市総合体育館レインボーホール 開場17:00(予定) 開始18:00(予定)
▼山本宜久 vs 柴田勝頼
▼桜庭和志 vs ユーリー“PLAY BOY”キセリオ
▼所英男 vs 安廣一哉 (※永田克彦が負傷、代役に安廣)
▼宇野薫 vs アリ・イブラヒム
▼宮田和幸 vs ブラックマンバ
▼メルヴィン・マヌーフ vs 高橋義生
▼マイティー・モー vs キム・ミンス
▼ゲーリー・グッドリッジ vs ヤン“ザ・ジャイアント”ノルキヤ
▼シン・ヒョンピョ vs ベルナール・アッカ
▼高谷裕之 vs アンドレ・ジダ
▼上山龍紀 vs ビトー“シャオリン”ヒベイロ
※以上全カード(11試合)、試合順は未発表
=地上波放映=
3月12日(月) 21:00~22:54
TBSテレビ Gコード(557305)
月曜ゴールデン HERO'S2007開幕戦
▽怒れる英雄桜庭和志完全復活へ試練の一番▽悲願の王座に挑む!!2006年準優勝・宇野薫▽フリーター・所英男▽シドニー五輪銀メダリスト・永田克彦参戦▽五輪日本代表・宮田▽井上和香
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柴田勝頼ファンの間でちょっとした話題、元『週刊ゴング』編集長・金沢克彦氏が携帯サイトで柴田を取り上げている。
柴田ファン必読の内容となった記事、何が明かされた?
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kamipro Hand 3/9金曜更新
金沢克彦の「プロレス村から愛をこめて」
いざ総合出陣!
だが柴田の目標は、船木誠勝とのプロレス勝負だ!
(前略)ここで打ち明け話をしてしまおう。柴田本人が「なんでも勝手に書いてください」とメールしてきたので、もう時効と考えていいだろう。実はこの日が来ることを私は知っていた。ただ、思ったよりも早かったな、というのが正直なところでもある。昨年末の『UWAI STATION』12・30後楽園ホール大会を最後に、柴田はプロレスのリングから姿を消した。そのときの浜中和宏との一戦は本当に素晴らしかった。浜中の潜在能力を存分に引き出したうえで、柴田が腕極め卍固めという新技で2006年の有終の美を飾った格好である。当日深夜、「いい試合だった」というような簡単なメールを送ってみたところ、すぐに柴田から返信があった。その内容を目にしたとき正直、驚きを禁じえなかった。「僕は石澤さんと闘いたいです。桜庭さんともやりたい。無理だろうけど、ヒクソンとも闘いたいんです。来年は総合にチャレンジします。この話は船木さんしか知りませんので、内緒にしておいて下さい。金沢さん、俺はやりますよ。よろしくお願いします」。
そう、柴田とはそういう男なのだ。私は柴田の電話番号も知っているが、ほとんどかけた記憶がない。会話はいつもメールだった。しかも、本当に数ヶ月に一度のやり取り。でも、それで十分のような気もしている。口下手な男だ。真っ直ぐな男だ。上手く言葉で伝えられないから、行動で示す。だから、今までも多くの誤解を受けたりして、損をしてきた。例えば2005年に新日本プロレスを退団する際も、そうだった。当時の社長は草間政一氏。契約更改の話し合いが物別れに終わった時、柴田はこう言った。「あの人(草間社長)は詐欺師の目をしている」。そこまで言うか!?の痛烈な批判だった。当時の新日本は、棚橋、中邑、柴田の3選手を新闘魂三銃士として売り出すことを起死回生策として推進しようとしていた。選手の年棒が軒並みダウン提示される中、エース路線に乗る新三銃士のギャラは大幅アップした。もちろん、柴田の年棒も大幅アップ。しかし、どうしても納得のいかないことがあったのだ。
後に永田が自分のアングルに代えて、Tシャツまで作製した“踏み台”発言である。つまり、柴田の契約更改の席で、草間社長はこう言ったのだ。「今年は新三銃士のエース路線で行こうと思ってる。そのためにも、第3世代と言われてきた永田、中西、天山には踏み台になってもらうから」。これに柴田はキレたのだ。キレたついでに、この話を永田の耳にも入れてしまった。永田もキレかかったが、そこはクレバーな男。このシュートな話題を自らアングルに代えて、『天下を取り損ねた男』Tシャツに続いて、『俺は踏み台か!?』Tシャツまで作製したのである。では、なぜ柴田は草間発言に激高したのか?・・・・・・
「新日本プロレスが一番苦しかったこの2~3年を、先頭に立って支えてきたのが永田さんたち。それを知りもしないで、何も評価しようともせずに踏み台だのと言いやがった。許せないですよ。そんなことを平気で言う人間は信用できない」と言うのだ。誰よりも新日本のレスラーであることに誇りを持っていた男が、新日本のリングを去った。その後の経緯は、周知の通りだろう。
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石澤、桜庭、ヒクソン!
あの12月の浜中戦、もうすでに決意はなされていた。見事なまでのプロレスであり、さらに「必死さ」と「強さ」が競われた一戦。とても総合参戦が決意されていたとは思えないほど、柴田は自身の理想のプロレスをあの一戦で体現していた。
そんな柴田が新日本プロレスを飛び出したのは、強さへの憧れだったことは間違いない。ただ、そこに先輩・永田裕志の存在があったという話は意外だった。それを“退団”という行動によってしか抗議できなかった柴田の一本気と不器用さが心に響く。
「新日本プロレスを愛すればこそ、新日本を飛び出さざるを得なかった」というのは、けっしてベテランレスラーだけの気持ちじゃない。若い柴田にとっても例外ではなかったのだ。このあたり、ボクなんかも長くプロレスファンをやっているわけだが、世代を超えて柴田に親近感を覚えてしまうのである。
コラムは続く。
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こと、プロレスに関する感性やアドリブに関していうなら、柴田は天才的なセンスを持っている。そのポテンシャルにおいては棚橋や中邑を上回っている、と私は評価している。また、それはプロレスだけに限らないことも過去に実証済だ。もともと格闘技志向の強かった柴田は、K-1との闘いを望んでいた。それが実現したのが2003年11・3横浜アリーナ大会だった。新日本のリングとはいえ、K-1ルールがそのまま採用され、その一戦には4本ロープが張られた。相手は天田ヒロミ。K-1日本人ヘビー級ファイターの中でもパンチの技術と破壊力にかけては№.1と言われるハード・パンチャーである。この天田を相手に第1R 開始早々から打ち合いを臨んだ柴田は、なんとカウンターのショートフックでいきなりダウンを奪った。結局、その後はパンチ、膝蹴りのメッタ打ちを食らって、第2RにKO負け。しかし、あの1発は衝撃的だった。また、2004年の5・3東京ドームでは武蔵との異種格闘技戦も経験している。こちらも第2R、左ハイキックを食ってKO負けしたものの、内容的には息もつかせぬ好勝負。極論すればプロレスの試合と同類なのだが、ここでも柴田の感性は光り、まるで全盛期の猪木のようにも見えた。ちなみに、この異種格闘技戦を観戦していた藤田和之は、「柴田は凄いよ。格闘技戦であれだけの迫力を見せれる選手はそういないです。ある意味、プロレスよりも、総合よりも難しいわけじゃないですか? 俺、柴田のファンになっちゃいましたね」と感心しきりだった。そしてその12日後、ブラジルで猪木主催の『ジャングルファイト2』 に緊急参戦した柴田は、総合初体験。アイスマンなる無名のファイターを肩固めで秒殺(45秒)している。
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猪木プロレス、異種格闘技戦という趣向に心酔した昭和ファンが飛びつきたくなる匂い。それが柴田には、ある。藤田和之が絶賛したというのだから、天性のものまで柴田は備えていた。これが船木誠勝と特訓するはるか前の話なのだから、「今度はもっと」という期待を、ついついしてしまうのだ。
コラムはラストへ。
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新日本が用意したトップの座をよしとせず、イバラの道へ足を進めた柴田。不器用な生き方を周囲の人間は「周り道」だと言う。「あれだけのプロレスのセンスがあるのに」とその素材を惜しむ声もある。しかし、本人が選んだ道のりだ。そこに後悔などあるまい。そういえば、師匠の船木も同じ生き方をしてきた。あの時、UWFを選ばず新日本に残っていれば船木のIWGP政権が10年は続いただろう、とも言われた。しかし、そう言われても船木にはまだピンと来なかったのだ。やはり師弟は似てくるものなのか? いや、そうとも言い切れない。私は一つ大切な言葉を忘れていた。柴田は決してプロレスを忘れたわけでも、プロレスラーを捨てたわけでもないのだ。なぜなら、例のメールの最後にはこう記されていたからだ。「そしていつの日か船木さんと、プロレスのリングでプロレスラーとして勝負したいです」。
今は総合一筋。しかし、本籍はプロレスにあり、心はプロレスラー。柴田ファンのみんな、安心してほしい。そして、力の限り柴田勝頼を応援し、彼の生き様を見届けてやってほしいと思う。
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回り道ではけっしてない。プロレスを信じるものであれば、自然と辿る道を柴田は歩いている。金沢氏は、柴田と船木がたどった道のりを対比してまとめた。柴田には、自身が憧れたプロレスラーたちから刷り込まれた生き様が、確かに息づいているのだ。
それを、いくつかのエピソードとともに記事にまとめてくれた金沢氏には感謝したい。そう、プロレスを信じるのであれば、これくらいの記事を試合前にぶつけていかなきゃいけないんですよ、プロレス者であるならば!
そして、息づく“影”は、船木だけではない。ここからは、カクトウログ管理人のボクも、妄想を膨らませて書かせていただきたい。
新日本プロレス時代、2004年5月3日東京ドーム・柴田勝頼vs武蔵に向けて行われた記者会見。柴田勝頼は「異種格闘技戦といえば、(前田日明vs)ドン・中矢・ニールセン」と切り出した。
・ カクトウログ: 柴田勝頼と前田日明の関係
武蔵との一戦を前田vsニールセンになぞらえて、昭和ファンを取り戻すと宣言した柴田。ずっと彼を追ってくると、あれがけっして“ネタ”ではなかったことがよくわかる。
▼前田日明
(入門)1977年、新日本プロレス入門
(入門7年目)1984年、旧UWFにエースとして移籍
(入門9年目)1986年、格闘技戦ビックマッチ、ドン・中矢・ニールセン戦
▼柴田勝頼
(入門)1998年、新日本プロレス入門
(入門7年目)2005年、ビッグマウスにエースとして移籍
(入門9年目)2007年、格闘技戦ビックマッチ、山本宜久戦
ここまでの酷似ははっきり言って、泣けてくる! 前田日明がプロレスラーだったのか、それはファンの感じ方によって異なってくるであろう。ただ、ボクらの憧れの究極がプロレスラーという肩書きであるならば、前田を最高のプロレスラーとして挙げるファンは多いだろう。おのずと柴田を“最後のプロレスラー”として送り出す気持ちに駆られていく。それほどに、これだけプロレスと格闘技が分化してきた現状においては、柴田のチャレンジは胸を打つ。
ファンにとって、前田のニールセン戦が色褪せないように、柴田は自身の輝かしい歴史の1ページへと山本戦を変えることができるか。もう待ったなしとなった。
それでいて、柴田が偉いのは、現時点の彼の瞳に写るすべてを消化した上で、「プロレス」を確固たる故郷と考えているところである。プロレスが最上位となる世界観を、けっして彼はあきらめていない。痛快すぎる柴田の闘いをファンとして見守れる喜び。
さぁ、柴田勝頼、HERO’S出陣!
■□T.SAKAi
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