1976年のアントニオ猪木 書評
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ルスカ戦、アリ戦、パク戦、ペールワン戦。プロレスを変え、格闘技を変えた4試合を世界的取材で描く。『1976年のアントニオ猪木』(柳澤健著/文藝春秋)を読みました・・・
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猪木はリングに寝て、アリは立つ。
1976年の異種格闘技戦を当時のマスメディアは「世紀の大凡戦」とこきおろした。
が、21世紀に生きる私たちは、現在の総合格闘技の試合の流れのなかでごく普通にそうした状態を見ることができる。
打撃系の選手と組み技系の選手が戦う必然として―。
1976年に猪木が戦った異常とも言える四つの試合。
世界各地に試合の当事者を訪ね歩くことで見えた猪木の開けた「巨大なパンドラの箱」。
第1章 馬場を超えろ―1976年以前
第2章 ヘーシンクになれなかった男―ウィリエム・ルスカ戦
第3章 アリはプロレスに誘惑される
第4章 リアルファイト―モハメッド・アリ戦
第5章 大邱の惨劇―パクソンナン戦
第6章 伝説の一族―アクラム・ペールワン戦
第7章 プロレスの時代の終わり
終章 そして総合格闘技へ
プロレスを変え、格闘技を変えた4試合を世界的取材で描く。
2月ルスカ戦、6月アリ戦、10月パク戦、12月ペールワン戦。4試合の当事者を世界に訪ね、新証言によって描く格闘技を変えた熱い1年。
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この本はルポルタージュなんであるが、ニュアンスとしては著者が最後に使っている「調査報道」という言葉がしっくりくる。半端ではない証言数が、事実をえぐり出す。
「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったものだ。小説を上回るとんでもないドラマ性が満ち溢れ、かつて猪木の闘いに熱狂したファンならば特に、リアルな描写の数々に胸が躍るだろう。
この本にはおおざっぱに言って、三つの顔がある。
(1)プロレスと総合格闘技の歴史検証~アントニオ猪木の異常な1976年の試合が後の総合格闘技誕生につながっていったこと
(2)“真剣勝負”と“ショー”の境界線報道(暴露)
(3)アントニオ猪木の魅力の言語化~レスリングの匂いがするプロレスをベースに、快楽があるプロレスで馬場に対抗
プロレスのドキドキ感は活字でも味わえるのだ。
しかし、気になるのは、猪木本人のインタビューなしに、猪木の意図を著者が断定しまくっていることである。関係者の証言から明らかにしていったこともあるんだろうが、明らかに「それは本人にきいてみないとわからないでしょ!」ということが多い。
要求レベルを上げるとすれば、猪木本人のインタビューが取れなかった(猪木に拒否された)ことは本書の落ち度と言わざるを得ないだろう。そして、猪木はこの本で喋らないことで猪木の世界観を見事なまでに守っている。真実は墓場まで持っていかなければならないのだ。
ふと考えてみる。猪木が明らかな(同書で言うところの)リアルファイトを闘ったことは業界にとって有益だったのかどうか。「プロモーターという指揮者のもとに、観客の欲求不満解消を請け負う」既定路線のプロレスから逸脱したことはよかったのか。
うーん。わからないなぁ。でも、何度も従来プロレスから逸脱した猪木がいてくれたから、これほどまでにプロレス&格闘技を見続けている自分がいるんだと思う。本書を読んで、猪木は本当にすごかったんだと胸を張れる思いだ。ただ、猪木の罪もきっちり押さえられているので、そこももらさず読んでほしい。
そして。
プロレスファンにとっては、この本を読むことは「始まり」に過ぎない。本書に出て来るいくつかの言葉に、ボクらはカチンとくる生き物である。調査報道という特性からもそう書かないとシマりがないんだろうが…「演劇」「ショー」おいおい、そんな単純なものじゃないよ。
たとえば1992年の前田日明はこう言っている。
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(いまプロレス団体が増えてまして、こういう状態は・・・よく演劇(の劇団)みたいになっているんじゃないかと)
前田「でも、リングっていうのは言葉喋るところじゃないんですよね。からだ動かすところでね。言葉喋るんだったら、舞台に立てばいいだけであってね。あそこ(リング)は、観客の肌身に伝えていくところでね。ケガするかもしれない、死ぬかもしれないという気持ちでね」
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鈴木みのるや高山善廣、KENTA、柴田勝頼といったレスラーが見せるエグい攻め。間違いなく肌身に伝わってくる瞬間がいくつもプロレスの中にはある。これ以上なく肉体を犠牲にしていくのがプロレスだ。
そして、強さとは単なる技術ではない。確かな攻防を生み出す明晰さ。相手のよさを引き出していく広義のコミュニケーション能力。リング内外での信頼関係といったところまでの「闘い」をボクらはプロレスラーの向こうに見ている。しかも正解がないんだよ、ルールごと自分でつくっていかなきゃいけない世界だ。
そういった頑なな自分の見解を確認して、ああ自分は本当にオタクなんだな、でもプロレス好きなんだなと、この本を読み終えるんである。
猪木への取材は失敗に終わった。もし実現していたら、猪木はこう言ってくれるはずだ。「オレはいつだって『真剣勝負』だった。あなたもこんだけ調べたんだ、わかるだろう?」この著者にその理由を説明するのは面倒そうだなぁ。
■□T.SAKAi
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