ゴッチさんが闘った最後の強敵
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※7/31 24:50追記
▼7/31 16:35 | あす発売の「週プロ」表紙
携帯から。
表紙はプロレスの神様カール・ゴッチ天国へ、、、「神様、逝去」。
生前最後の「週刊プロレス」誌インタビュー、
昨年8月のときの笑顔が表紙を飾った。
日曜夕刻の訃報ながら、追悼カラーが2ページ。
発売されるあす水曜日、
神様は全国の日本人に店頭から微笑みかける。
▼7/31 24:50 | ゴッチさんが闘った最後の強敵
同誌の斎藤文彦氏による追悼寄稿。死因について、こう触れられている。(他にもいくつかの生前エピソードがありますので、同誌をご参照ください)
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死因は大動脈瘤(だいどうみゃくりゅう)。2週間ほどまえ、近所に住む男性がゴッチさんを訪ねると、顔面蒼白のゴッチさんが背中に激しい痛みを訴えたため男性はすぐに救急車を呼んだ。ゴッチさんは搬送先の病院で緊急手術を受けたが、手術後は危篤状態がつづき、28日の午後9時45分ごろICU(集中治療室)のベッドで帰らぬ人となったという。
ここ10年ほどは元プロレスラーのジョー・マレンコ氏とフロリダの日本を往復しながら生活している西村修だけが連絡を取り合っていた。救急車を呼んだ男性は、1週間にいちどずつゴッチさんのアパートに洗濯物を受け取りに来るケアテーカーだった。
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日刊スポーツによる報道。
・ ゴッチ氏の死因は胸部の大動脈瘤破裂(ニッカン)
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無我ワールドの西村修が名誉顧問カール・ゴッチさん(享年82)の死因が胸部大動脈瘤(りゅう)破裂だったことを30日、明かした。動脈の血管壁が薄くなって膨らみ、破裂するもの。最後まで看病した弟子のジョー・マレンコから電話で聞いたという。2週間ほど前に背中と腰の激痛を訴え、米フロリダ州タンパ市内の病院に入院した際に判明。緊急手術を受けたが、病状は回復しなかった。「できるだけ早くタンパに向かうつもり」と悲痛な声で話した。
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大動脈瘤についてはこちらでご確認ください。
・ 大動脈瘤(心臓血管外科最前線)
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■大動脈瘤(だいどうみゃくりゅう)とは?
・ 大動脈とは、全身に血液を送る大血管のことです。
・ 大動脈瘤とはこの大動脈の一部が「瘤」=「こぶ」のように膨らんだ状態のことです。
・ 瘤は大動脈のいろいろな部位にできます。胸部、腹部、また両方にまたがれば胸腹部となります。多くは破裂しない限り症状がありません。逆にそれがこの病気の恐ろしいところです。(健康診断や他の病気の診察中に偶然見つかることはある)
・ 破裂したら症状は重症で、激しい痛み、呼吸苦、意識障害などを起こし、突然死することもあります。切迫破裂のように数日間症状がじわじわ持続することもあり、この場合も早期診断、治療が必要です。
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「多くは破裂しない限り症状がない」「破裂したら重症」というやっかいな病気にかかり、緊急手術を受けたものの、回復せず。危篤状態は実に2週間もつづいたことになる。たいていの強敵を打ち破ってきたゴッチさんも、どうしようもなかった。
いくつか追悼の動きが。
新日本プロレスで若手の登竜門として3年間開催された「ゴッチ杯」が復活。
・ 「無我最強決定戦」を「ゴッチ杯」に変更(ニッカン)
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西村「ゴッチさんが信頼していた藤原喜明さん、木戸修さん、鈴木みのるさんには声を掛けたい」。
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なお、7・29金沢大会でゴッチさんの訃報を聞いた鈴木みのるはノーコメントのまま。当夜に突如としてブログ閉鎖を宣言している。
鈴木みのるが所属。団体名の名付けの親がゴッチさん。
・ パンクラスがゴッチ杯に前向き(ニッカン)
ゴッチさんにブリッジナンバーワンと評された初代タイガーマスクこと佐山聡。
・ 佐山がゴッチ杯に「協力したい」(ニッカン)
また、新日本プロレスはG1クライマックス開幕戦(8・5大阪)でセレモニー開催とデイリー紙上で伝えられている。
ゴッチさんなら受け入れたくないであろうこの団体までも追悼を表明。
・ ハッスルでゴッチ氏追悼セレモニー(デイリー)
高田延彦は本当はPRIDEのリングなどでそれをやりたかったんだろう。ただ、その場がないだけに、屈折したカタチでの意思表明となった。「もう一度お会いしたかった。そして、お礼を言いたかった」などとデイリー紙面ではコメントしているが、どう表現するのか?
最後に、ゴッチさんのプロフィールについて、ほぼハッキリしたことがいくつかある。
・ 多くの資料で「ドイツのハンブルク生まれ」とされているが、「ベルギーのアントワープ生まれ」が本人談によると正しい。
・ 本人は「金メダルを獲れなかった」として多くを語らないが、1948年のロンドン・オリンピックにチャールズ・イスタスの名でベルギー代表として出場。銀メダルを獲得(訂正。正しくは2回戦敗退)。
・ その後に「関節技を含むレスリング」をウィガン(という場所にあるスネーク・ピット=蛇の穴と呼ばれたスクール)に学ぶ。名声が上がった所で、米国へ移住。日本で「プロレスの神様」と呼ばれ、伝説になった。
ボクの“プロレスラー”カール・ゴッチの印象というと、強さにこだわりすぎたゆえに、ショー要素が強かったアメリカンプロレスから追い出されたという伝聞しかない。ゴッチさんは過去に安住しなかった。そのうえで、「自分」のことを多くは語らず、「強さ」を語り続けたんである。
T.SAKAi■□
※7/31付 読売新聞より(カール・ゴッチ氏=元プロレスラー)
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