UWF田村×船木 煽りV全文~前田が登場【週刊 前田日明】
前田日明が足りない世の中に、とことん前田日明を発信してみる。毎週日曜日は、前田日明関連の動きをできる限りカクトウログが追う「週刊 前田日明」の日です。連載第63回のラインナップ▼UWF田村×船木 煽りV全文~前田が登場▼スーパーUWF暗礁を検証する・・・ [全文を読む]

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情報をキャッチしていながら、最新1週間(月曜から土曜まで)で取り上げなかった前田日明の話題、あれば翌週送りせず日曜にまとめる。あと、1週間で取り上げた前田関連記事、主要記事リンクも再集約しておくことにします。
(週刊前田日明バックナンバー →「週刊前田日明」参照)
この連載を毎週見ておけば前田関連の動きは逃さない!
理想はそこですが、どうなるか。
不定期でスミマセン。2008年、初更新です。
▼▼▼ W E E K L Y A K I R A ▼▼▼
総合格闘技「DREAM」にて、元UWF所属選手同士の夢の一戦、田村潔司vs船木誠勝戦が実現した。
・ カクトウログ: 4・29「DREAM.2 ミドル級グランプリ2008開幕戦」さいたまスーパーアリーナ、速報観戦記まとめ
・ DREAM.2 ミドル級グランプリ2008開幕戦(スポーツナビ速報)
試合も鮮烈な印象を残したが、試合前に上映された煽りVの評判がいい。当日会場で観戦したボクは、速報をしながらの観戦だったため、VTRを横目でしか見れていない。ここでは、当日の映像を見ていない方のため、そして自分の復習のため、動画からのテープ起こしをお届けしたい。
では、UWF田村×船木 煽りV全文、スタート。制作は煽りVアーティスト」こと佐藤大輔氏、ナレーション(太字)はもちろん立木文彦氏である。
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(浅間山荘事件、連合赤軍の映像をバックに)
理想は時に、
大きな傷跡を残していく。
そして時に、
計り知れない“狂気”の集合体となる。
(田村潔司と船木誠勝の顔、映像)
理想という名の呪縛にとらわれた二人。
(モーリス・スミス戦に敗れた鈴木みのるを
両脇で抱える船木誠勝と田村潔司の写真
=格闘技通信提供と思われる)
その歴史を語るには、あまりにも時間がない。
(小渕首相が「平成」の額縁を掲げる映像)
あれは20年前、
(新生UWF第1回記者会見での選手たちファイティングポーズ写真
「選手・スタッフ全員20代」とのスーパーが出る)
U.W.F、
(写真「1988.8.13有明コロシアム満員」)
若者たちが抱えた青きエピソード。
(写真「前田日明vsジェラルド・ゴルドー」
前田コール音声がかぶっていく)
ファン映像「他のプロレスを今まで観てたのがバカバカしくて…」
(写真「1989.5.4大阪球場2万3000人超満員」)
その刺激的な空間に、人々は酔いしれた。
(写真「藤原喜明vs船木優治」)
女性ファン映像「徹夜して買ったのに、
1万円の券、買おうと思ったのに、
5,000円なんだもーん。私の前なんだもーん」
(写真「1989.8.13横浜アリーナ1万7000人超満員」)
そこに、格闘技の桃源郷をみた。
(写真「前田日明vs藤原喜明」「高田延彦vs船木優治」)
ファン「今まで格闘技戦で人が死んだことはないですけれど、
今日そうなっちゃうかもしれない」
(写真「1989.11.29東京ドーム6万人超満員」)
またたくまにUWFは、社会現象と化した。
(写真「鈴木みのるvsモーリス・スミス」
「前田日明vsウィリー・ウィルヘルム」)
前田日明(49)コメント映像
「格闘技を食えるようにしたのはU.W.F」
葉巻をふかす。
(再び、モーリス・スミス戦に敗れた鈴木みのるを両脇で抱える
船木誠勝(当時20歳)と田村潔司(当時19歳)の写真)
そして、まばゆい理想に誘惑された2人の若者。
(田村潔司、UWF若手時代の控え室での映像、静止して)
正統派・U!
孤高の天才、田村潔司。
(道場近くの1本道→道場外でキックミットを蹴る選手
「東京・世田谷 U.W.F道場」)
男の格闘技人生は、Uから始まった。
(道場のリングサイドで前田(当時30歳)が視線を投げかける)
青春の全てをUに捧げ、
Uしか語らず、
Uしか信じない。
誰が呼んだか、孤高の天才。
(高田(当時27歳)がアームロックを仕掛ける)
田村「えー、スクワット2000回くらいやったんですけど、
冗談で『あと1000回くらいできるんじゃない?』って
先輩に言われて、『できません』って言っちゃったんですよ。
そしたらボコボコに殴られて、あと1000回やらされて(苦笑)、
1年が3年とか5年分くらい凝縮したような時期だったりしたんで」
前田「道場でね、練習生が亡くなったんですよ。
練習中にね。取り返しのつかないことなんですけどね」
狂った季節。
(背中を向けた一人の男映像、振り向くと船木誠勝)
急進派・U!
甦ったサムライ、船木誠勝。
(1989.4.10記者会見写真「UWF入団」前田と握手)
新日本プロレスから引き抜かれたスター候補。
だが、強さへのあくなき欲求はとどまるところを知らなかった。
(鈴木みのると並んで挨拶写真)
(船木反則負け 1989.5.21vsB・バックランド戦写真)
船木は時としてルールさえも拒絶。
これは「本当の闘い」ではない。
これは「最強」ではない。
(船木、ボストンクラブ写真)
(船木、腕を三角巾でつるした写真)
ファンが抱く幻想、
己の理想、
リングでの現実。
すべてが乖離していた。
(誰もいないU.W.F道場のリング映像)
船木「プロレスから格闘技に変わる瞬間にいるんであれば、
もう格闘技に変えてしまいたかったです。すぐにでも」
(船木の顔映像)
ただ、本当の闘いがしたかった。
煽りVインタビューアー「5年待ってくれとか」
前田「ああ確かに言いましたね、(UWF当時)船木にね」
(船木の顔映像)
前田「『あぁそうですか』と言ったきり黙ってましたけどね。
『5年も待つんですか?』みたいに」
(リング中央で前田がスーツ姿、頭を下げる写真。
「1990.12.7全選手解雇」)
あらゆる狂信的集団がそうであったように、
(控え室にそろった選手写真。「1991.1.7U.W.F解散」)
内ゲバを繰り返し、2年半で崩壊。
(流れの速い雲映像→田村潔司入場映像)
最愛のリングを失った田村は、
Uの魂を胸に闘い続けた。
(桜庭和志との前座マッチ映像、UWFインターナショナル。
田村のヒザ十字に桜庭がギブアップする)
(田村、リングスでディック・フライにスリーパー勝利映像)
そして、2002年には、
(写真、2002.11.24田村vs高田延彦戦。高田引退試合)
憧れの存在、高田を介錯。
(写真、高田が田村の手を上げる)
あのときはまだ、Uの幻想は確かに残っていた。
(再び、田村潔司入場映像→流れの速い雲映像)
一方、
船木「より最強に近い格闘技を目指しています」
(1993.9.21パンクラス設立、開会宣言映像)
船木(当時24歳)
「これからもパンクラスをよろしくお願いいたします」歓声。
船木は24歳にして団体を旗揚げ。
(船木がキックで相手を倒すシーン)
より過激なルールの中で見出した己の理想。
(ベルトをしてコーナー、セカンドロープに登りアピール
→バク転映像)
(2000.5.26コロシアム2000入場シーン)
敗北はすなわち死である。
覚悟していた。
(ヒクソン・グレイシー、映像)
(ヒクソンのチョークに船木が落ちるシーン)
だからこそ、あの日。
(ヒクソンのチョークに船木が落ちるシーン、スローでリプレイ)
リングに別れを告げた。
時は流れて21世紀。
(山本KIDや秋山、ヒョードルの試合映像)
進化を遂げた格闘技の影で、
UWFは完全に過去のものとなった。
(葉巻をふかす前田映像)
狂った季節を演じた男たちは、リングを離れ、
(高田統括本部長が太鼓叩きのため肩をはだけて、
白い鉢巻でマイク映像、「出てこいやぁ!」)
それぞれの道を歩んでいる。
(写真、若かりし頃のUWF選手たち集合写真、オフショット風)
しかし、くすぶり続ける二つの炎。
(写真、集合写真の田村と船木の2か所だけを残して暗くなる)
(格闘技ジム、U-FILEキャンプの道場前映像
「1997.9 個人ジム『U-FILE CAMP』設立」)
田村は、ただ、頑なに、
田村「『U』っていう文字をファイルする。
閉じ込めるって意味合いでつけたんですけど…」
(超満員のUWF会場がフラッシュバック)
田村は、船木との闘いで、Uという人生を守り続ける。
(田村トレーニング映像)
(大阪ドーム、屋上ヘリからの映像
「2007.12.31 船木誠勝復活」)
実況「そして、イッキに7年の歳月が。甦ったサムライ、船木誠勝」
船木は、田村との闘いで、Uという過去を清算する。
(船木トレーニング映像)
船木「昔の思い出は昔の思い出で、
今は今の現実を生きていくのが、あのー、自分だと思うんですけどね」
いまさら闘えるのか。
(連合赤軍の映像、再び)
前田「どっちかがカッコつけた試合したら、
これほどつまんない試合はないですね。ホントに…」
(前田、昨年大晦日の田村にトロフィー投げつけ映像)
前田「…みんな見なきゃよかったって思うよ」
(UWF時代、前田が道場で脇固め、渾身で絞る映像)
前田「格闘技の原点は『必死でやる』ってことですよ」
(連合赤軍の映像、再度)
(U.W.F道場 外でキックミットを蹴る選手映像、再度)
田村「『U』をずっと残していきたいという気持ちはあります」
(田村の今、UWF時代、船木の今、UWF時代が
映像や写真でフラッシュする)
船木「過去にはこだわっていきたくないですね、自分は」
(連合赤軍の映像、夕日、UWFロゴマークに血の跡)
伝説、UWF、完結。
(夕日をバックに煽りV終了)
* * *
まず、この7分余りの制作に費やした労力をリスペクトしたい。
アレコレ補足するのもうっとうしいでしょうけれど、やはり映像・写真とナレーションのかぶせ具合が絶妙である。一流の編集というものは、すべてを言い切らず、受け手に“感じさせる”ことができるものである。なぜなら人間は、押し付けられたものよりも、自ら感じたものに心が動くから。その見本のような編集が随所にあった。
そして、浅間山荘事件・連合赤軍とUWFを絡めた総括が、心憎いまでにこのVの骨子となっていた。そう、現代の総合格闘技に比べて“ヌルい”と評されがちなUWFを、「命を張った熱さ」として取り上げたのだ。
前田が「道場でね、練習生が亡くなったんですよ」と言っているのは、さいきんの書籍でも触れられている内容。
・ 2008.03.31 カクトウログ: 前田日明、船木誠勝、田村潔司、堀口和郎さん・・・誕生から20年、今もテーマはUWF
このくだりには、練習生の死というスキャンダラスな点にわざと触れながら、それも含めての熱さ、創世記の葛藤を問うているようにも思えた。ギリギリの演出かもしれない。
正直、意外である。旧PRIDEからの流れをくむ制作チームは、前田日明に「ざまあみろ!」と“消滅”時に言われた因縁がある。それを乗り越えて、前田がかつて長を務めたUWFという団体の意義を見事に現代に再現してくれた。
格闘技スタイルのプロレス、「第2次UWF(新生UWF)」旗揚げからちょうど20年。それを世に最も問うたのが、旧PRIDEからチームだったことが驚きでだった。煽りVとは、こんなに面白く、可能性を秘めたものなのである。
※追記
トラックバックをくださったOMASUKI FIGHTさんによると、「この煽りV、TBSの地上波でも、ナレーターこそ違えど、PPVで流れたものがほぼそのままの形で流されていました」とのこと。違い、その編集からわかる意図を検証していらっしゃいます。こちらもどうぞ。
・ 2008.05.05 OMASUKI FIGHT UWFは連合赤軍か、アンチプロレスか
▼▼▼ W E E K L Y A K I R A ▼▼▼
紙のプロレスこと、kamipro最新号で、発展解消にいたった総合格闘技「HERO'S」の検証がなされている。そのひとつが、上井文彦氏へのインタビュー。
・ kamipro No.122→上井文彦が語る HERO'S誕生の裏側|Asso di fiori
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上井 だから、そこで前田さんをうなずかせる(HERO’Sスーパーバイザー承諾)のに苦労したんですよ。最初に僕が口説いたら、「絶対にイヤだ!!」って言われましたからね。ほかにもいろんな人が口説いたんですよ。それでもずーっとノーだったんです。で、最終的には僕が前田さんの家に呼ばれたんだったかな。そこで、前田さんの胸の内を聞かされたんですよね。ここでは絶対に言えないんですけど。
──何か条件を提示されたんですか?
上井 いや、条件というか、胸の内ですよね。「上井さん、それを理解してくれんだったら、あえて乗せられたフリをして乗ろうか」って。それで、もう一回谷川氏も交えて話をしてしぶしぶOKしてもらったというかたちですかね。
──前田さんとしては力を蓄えて、いずれリングスを復活させようとする腹づもりだったわけですよね。
上井 まあ、前田さんは前田さんなりに、PRIDEが消滅したまでは凄く計画どおりにいったんじゃないですかね。ただ、そのまさかDREAMができるとは思ってなかったんじゃないかな。真意はわからないですけど「獅子身中の虫になって、腸食い破って…」という感じだったと思いますよ。
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この「あえて乗せられたフリをして乗ろうか」というニュアンスは、初めて世に出たものだ。同様の意図こそ明かされたことはあったが、ニュアンスが新しい。
前田が主催した「リングス」が活動休止に追い込まれるまでには、「PRIDE」の台頭もあったが、立ち技格闘技「K-1」の隆盛(あるいはリングス興行ノウハウ踏襲)もあった。そういった背景を知っているファンからすると、K-1(FEG)と手を結ぶことは意外でもあった。本当は独力で、打倒PRIDE、打倒K-1を果たしたかったはずであり、その中で決してK-1陣営についたことが諸手を挙げてのものではなかったことがわかり、野望と現実の間で前田が揺れていたことが確認できる。
さて、田村vs船木戦でクローズアップされたUWFであるが、2006年に「スーパーUWF」構想が浮上したことがある。前田が当時スーパーバイザーを務めていたプロレス団体「ビッグマウスラウド」でのことだ。
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── 一つお聞きしたいんですが、前田さんは“スーパーUWF”をやりたかったということですけど、それって具体的にどんなものだったんでしょう?
上井 それをやるにあたって、僕は田村(潔司)とも会いましたよ。「“スーパーUWF”をやらないか」ということで。ヴォルク・ハンや高阪剛とか、いわゆるUスタイルができる連中を集めてUWFのスタイルをやろう、と。もっと総合に近い闘いをやろうということだったと思いますよ。あとランディ・クートゥアーを呼んでやろうという話もありました。
──ラ、ランディ・クートゥアーですか!!なぜだ(笑)。
上井 そうですよ(キッパリ)。ギャラとか関係なく、夢としてはそういう話が出てましたね。
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実際には、ここで触れられたお金の問題がネックになったんだろう。単純に考えて、総合格闘技に近づくほど、ギャラも高騰もする。当時のインタビューを振り返ると、次の引用のように、SV受諾について、そして財力がない点について触れられていた。
・ 2006.06.28 カクトウログ: 「前田さんの復讐を僕は支えられなかった」上井文彦氏【週刊 前田日明】
##
・ 高須「まずは、前田さんとの決裂(ビッグマウスラウドSV辞任)から聞きたいと思うんですよ」
・ 上井「いや、それは話しませんよ。前田さんを連れて来た僕の責任だから。決裂したらどうなるかはわかって呼んできたんだから。前田さんに言われる分には僕は何も構わないですよ。前田日明っていう人間は、筋の通ったことしか言わないから」
・ 高須「でも、上井さんが面倒見なかったらどうなっちゃうの? 前田さんは糸の切れた奴凧になっちゃわないかね?」
・ 上井「そんなことないですよ。K-1でしっかり面倒みてもらっているから大丈夫でしょう」
・ 高須「前田さんの本音はやっぱり上井さんのところにあるわけでしょ?」
・ 上井「いや、ないでしょう。前田さんの標的はPRIDEですからね。そのためにK-1に宿借りしているだけですよ」
・ 高須「宿借りじゃなくてしっかりした後ろ盾を上井さんに求めていたと思ったんだけど」
・ 上井「後ろ盾ではないですね。前田さんは、HERO’Sのプロデューサーになるのも嫌がったんですよ。だから僕が最初のプロデューサーになって。だから、K-1の敷いたレールの通りに行っただけなんです、僕たちは」
(中略)
・ 高須「ま、リングス崩壊から足かけ4年だよな。(HERO'Sへの桜庭引き抜きで)ちょっとは恨みは晴れたのかね」
・ 上井「まだでしょう。でも、復讐を僕は支えられなかったですからね、財力がないから。ホントにPRIDEと闘おうと思ったらタマ要りますもん。選手を引っこ抜くことも、育てるのも」
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記者による検証、上井氏による背景分析もあった。
・ 2006.03.05 カクトウログ: 「スーパーUWF」構想を追え!【週刊 前田日明】
##
■金沢克彦氏
・ (ビッグマウス代表・上井文彦氏)「この1年は、前田日明の人物像を再確認した。やはりユニバーサルで一緒にやっていた頃とは違っていたというね。前田さんは『上井さん、どうしてこんなに変わったの?』って。それは僕が老けたこともあるんだろうし、前田日明は頑固な前田日明のままだったということになるのかもしれないし。前田さんは、1回プロレスを壊さないと変わらないんだと。僕は、今の業界は手を取り合っていかないと復興できないと」。
・ 前田は自身が言うところの「スーパーUWF」で実験を試みるつもりだった。噂によると、前田がそこに集めたかったメンバーは、
田村潔司、山本宣久、成瀬昌由、高阪剛、金原弘光、
ジョシュ・バーネット、ティト・オーティス
と錚々たる面々。ただし、過去の前田との関係がネックとなる選手もいるし、実際に交渉するのは上井氏の役目。とても一朝一夕にいくものではない。もちろん、そこに
柴田勝頼、村上和成、“復活”船木誠勝
が名を連ねる予定であったのだろう。
■小佐野景浩氏
・ 「21世紀のストロング・スタイル、スーパーUWFをやるというからBMLに協力したが、上井さんはここにきて"できません"と言う。ファンの皆さんに期待を持たせて申し訳ないという気持ちがあるが、できないのなら元居た場所に帰るだけ。今のプロレスの駄目な部分、至らない部分から1歩も出ようとしないBMLにはガッカリした」
というのが前田の言い分だった。前田は冷静だった。新しい記者を知らないだけに、かつてU系担当で今は週刊ゴングのプロデューサーになった杉本喜公氏、新日本の若手時代から知っている私の顔などを見ながら、誠実に、理解を得ようとコメントしていたのが印象的だった。前田はプロレス・ファンに対してプロレス界から去ることを心底、申し訳なく思っているのだと私は感じた。
・ だが、これ(スーパーUWF)は現実的には、やっぱりできないというのが上井氏の本音だっただろう。純血メンバーでスタートしなければ新しいスタイルは作り出せない。だが所属選手は柴田と村上だけ。今のBMLの興行は他団体やフリーの選手の協力がなければ成り立たないのだ。彼らにスーパーUWFスタイルを強要するのは無理な話である。
■上井文彦氏
・ 前田さんは「なぜこんなことができないの?」っていうふうにボクらのことを観ていると思う。でも、そこは「超一流」と「一流」の差で、前田さんのように超一流ならできることが、発展途上のBMLでは実践できない。理論がわかったとしても、こなせない。ボクらがそこまで到達しない。その辺のジレンマは感じます。
・ 前田さんが示す頂上には、まわり道をしてでも上がっていきたい。ただ、直線で上がるか、グルグルまわって上がっていくか。前田さんは直線で上がれる人。ボクらは迂回しながらじゃないと着けない。
##
「超一流」と「一流」の差。前田とBMLの差を上井氏はそう表現した。また、1回プロレスを壊す前田のスタンスと、業界で手を取り合って復興という上井氏のスタンスの違いがあった。当時の記憶としては、暗礁理由がわからないことにイライラした覚えしかないし、「なぜスーパーUWFが暗礁に乗り上げたか?」と聞かれると、理由がパッと思い出せなかった。なのに、いま振り返ると、喋れることはすべて世に出ている印象もするから不思議なものだ。
前田の構想はこう明かされていた。
・ 2006.04.06 カクトウログ: 前田日明「手を挙げたからにはさ、ちゃんとやりたいから真剣に動いたよ」
##
・ 2005年5月にスーパーUWFという方向性で上井氏と合意。その後、旧パンクラス、旧リングス系含めて二十何人の選手を自宅に呼んで、俺が飯を作って、上井氏も和田会長も来た。一番最後に帰った奴は翌日の昼過ぎ。「やろうな!」「これは面白いことできるな!」って言って。リングスのときだってさ、選手集めて飯食ったことなんてないよ。
・ 俺はK-1の金で海外連れて行ってもらって、K-1に悪いなと思いながらさ、オランダでドールマンに会ったりしてビッグマウスの動きしてね、ロシアには自腹で行ってさ。「こういうことが始まるから」って自腹切って交渉。連中はそれに備えて練習、試合をキャンセルして待っていてくれた。俺が怒るのは当たり前。
・ 手を挙げたからにはさ、ちゃんとやりたいから真剣に動いたよ、去年1年間。K-1とかやりながらさ。ビッグマウスからは一銭も貰ってませんよ。それどころか彼らにギャラの20%入れていたよ。結局、ビッグマウスは行き当たりバッタリ。「前田は言い出したらブレない」って言われたが、そんなの当たり前やないか。
・ スーパーUWFっていうのは、プロレスの中に総合があるんだよっていうのを証明する団体。今さら柴田や村上に総合を強いても無理だよ。スーパーUWFをやり出しても、多分、船木あたりが凄く苦労して下のモンに合わせるんだろうなって。船木も「それでいい」って言った。元パンクラス、元リングスの奴に柴田、村上が揉まれていったら、いろんな意味でよくなる。2年目から思いっきり回っていくという計算だったんだけどね。
##
夢を元に支援者(実際に支援者がいないわけではなかった)を順調に集めればいけると踏んでいた前田。そういうレベルだとは決断できなかった上井氏。どっちが正しい、どっちが甘い、などはもう外野の見方になってしまう。
最新の『格闘技通信』での前田インタビューには、ジ・アウトサイダーを手伝ったビッグマウスラウドの村上(上井氏と決別)に触れて、こう語っている。
##
前田「アイツ(村上和成)はオレと同じお人よしで、人にダマされやすいんだよ。上井みたいなヤツに(苦笑)」
##
なんと言われても「前田さんに言われる分には僕は何も構わない」が上井氏のスタンス。プロレスが好きでプロレスラーが好きだから、前田にも、柴田勝頼にも、村上和成にも反論しない。
凡人をはるかに上回る情熱と、不器用さを併せ持つ。それは前田も上井氏も同じ。その噛み合わせは、うまくいくようでいて、狂い始めるともろかった。抽象的なんだが、そういった結論が案外的を射てるのかもしれない。
ビッグマウスに前田を呼び寄せ、結果的にK-1への橋渡しをした上井氏。上井さんがいなかったら、たとえば今回の『DREAM』煽りVに前田は出ていたんだろうか? ともかく、前田の存在が、田村vs船木の試合までも重厚なものにしたことは間違いない。
なお、上井氏であるが、一時期「上井ニ三彦」に改名していたものを、最近になって「上井文彦」に戻したことが週刊プロレスモバイルの記者コラムによって明かされていた。現在は、西口プロレスへの協力が中心になっているという。
UWFが「青春」なら、スーパーUWFは「青春をもう一度」(ただし構想のみ)。振り返るととても懐かしいし、当時からすれば、総合格闘技の隆盛さえ翳りがある今は意外だったりするのである。
今週の【週刊 前田日明】はここまで。
次週も前田日明を追いかけます!
↓週刊前田日明バックナンバー、カクトウログ前田日明記事、関連サイトリンクはこちらで
・ 週刊 前田日明 ~unofficial~
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