三沢光晴さんお別れ会、23日以降に都内で。広島中央署によれば死因は「頸髄(けいずい)離断」
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13日夜に広島での試合中の事故で急逝した三沢光晴さん。死去から一夜明けた14日の動きをまとめておきます。
・ ノア、三沢さんの遺志継ぎ興行続行「いかなる時も全力」:社会:スポーツ報知
・ スポーツナビ|三沢さんの死因に関して百田副社長「家族以外には不明」=ノア
・ 広島中央署によれば死因は「頸髄(けいずい)離断」という。事故直後に心肺停止状態に陥り、救命措置のかいなく、帰らぬ人となった。
<Yahoo!知恵袋より 頸髄離断とは>
* 首の骨が折れてその中の神経までもが完全に切れてしまった、という事でしょう。
* 頚椎とは首の骨の事(頭蓋骨を支える首の部分の7つの骨)を指し、頚髄とはその頚椎の中を通る神経(頭蓋骨と第1頚椎の間の第1神経根から、第7頚椎の下側から出る第8頚神経根まで8本;C1-8)を指します。
* 上位頚髄(1~3)の部位が損傷すると呼吸に必要な筋肉が麻痺し、即座に心肺停止になることがあります。
・ リング上での事故だが、関係者は「社長業との二足のワラジで、かなり心労がたまっていた。体調も悪かった」と話す。
・ 4月に収入源のテレビの地上波がなくなりスポンサーへのあいさつ回りが増えたという。練習もほとんどできないにもかかわらず激しい試合をこなしてきた。6月の巡業前には幹部から3回、静養するように促されたが聞き入れなかった。
ただし、副社長の百田光雄氏は異なる表明を。
・ 死因に関しては「僕たちも医師から『不明』としか伝えられなかった。検査した結果、脳や頚ついにも損傷はないという話しを聞いた。ただ、医師からは『家族以外には死因は説明できない。たとえ会社の方にも説明はできないので、家族の方に説明します』と言われました。したがって会社の人間は、医師の方から一切死因に関しての説明は受けておりません」とコメントした。
・ 早朝、真由美夫人(42)ら家族は遺体が安置されていた広島大学病院に駆け付け、対面。三沢さんの遺体は、ノアの選手・スタッフらに見送られ、午前10時28分に、広島大学病院を出発。10時間近くかけて自動車で都内に戻った。
・ 選手は広島から試合会場・博多へ直行。三沢さんの遺志を胸に、試合に臨んだ。
・ 興行先の福岡・博多で対応した百田光雄副社長(60)は、悲しみをこらえて22日まで続く残る4大会をまっとうすることを発表した。「いかなる時も全力で試合に臨む」。何があってもファンを大切にする、という故人の遺志を尊重したからだ。
・ 午後になって都内の自宅に戻った真由美夫人は「最後に話したのは巡業前?」の質問に「どうだったかな」と話すと、声を詰まらせ無言になった。午後7時30分過ぎ「近所への迷惑になりますので、今日は(ひつぎは)自宅には帰りません」と言い残し、長女・楓さん(20)とともに雨の中、自宅を出ていった。遺体は、東京・世田谷区内の自宅には帰らず都内に安置された。報道陣集結が想像されるため、近所に配慮しての措置だった。深夜、真由美夫人は「今日も明日も絶対に帰りません」と語った。
・ 15日にも都内で近親者だけで密葬、荼毘(だび)に付す。
・ 故・三沢光晴さん(享年46歳)をしのぶお別れ会が、23日以降に都内で営まれることが14日、「ノア」から発表された。ファンとは6月の巡業が終わる23日以降に「お別れ会」という形で天国へ送ることになった。
・ スポーツナビ|潮崎、三沢さんに捧げるGHC王座初戴冠「見ていてほしい」=ノア
・ スポーツナビ|三沢さんの最後の対戦相手・齋藤が涙の土下座=ノア
・ スポーツナビ|三沢さんへ惜別の10カウントゴング 秋山は声を震わせ欠場謝罪=ノア
・ スポーツナビ|小橋、悲しみのノーコメント=ノア
・ 試合開始前には出場選手がリングを囲み、リング上に小橋建太、田上明、小川良成、百田光雄が上がって三沢さんへ惜別の10カウントゴングが鳴らされた。
・ その後、腰椎椎間板ヘルニアにより急きょ今大会を欠場しGHCヘビー級王座を返上した秋山準が、声を震わせてあいさつを行った。
「自分の不甲斐なさに申し訳ない気持ちでいっぱいです。本来であればチャンピオンとして、三沢さん、そしてみなさんに最高のプロレスを見せないといけないんですが、今の自分にはそれができません。三沢社長と昨日(13日)、最後の最後まで一緒にがんばってくれた潮崎を、僕から指名させてもらいました(観客、賛同の拍手)。選手・社員一同、三沢社長の遺志を継ぎ、一生懸命がんばりますのでプロレスリング・ノアをこれからもよろしくお願いします」
・ 前日のGHCタッグ選手権で三沢さんの最後の相手を務めることになってしまった齋藤彰俊が登場。あふれ出る涙をこらえきれず、号泣しながら試合に臨んだ。
・ 入場口に姿を現した齋藤の顔は、すでに泣きじゃくっていた。責任を痛感し表情は疲れきっているものの、それでも気丈に振舞おうと涙をこらえ、リングに向かう。そんな齋藤の姿に、会場からは大きな「アキトシ」コールが。「彰俊泣くな!」「がんばれ!」とファンも涙声で必死に声援を送り、齋藤も何より三沢さんのために最後まで歯を食いしばって戦い抜いた。
・ 試合後、齋藤はリング上から本部席の三沢さんの遺影に向かって涙の土下座。ファンも痛いほど齋藤の気持ちは分かっており、拍手と歓声がいつまでも鳴り止まなかった。バックステージで齋藤は「取り乱してすみません。泣いている場合じゃないんですけどね」とコメント。そして「自分はどんなに重くて大きい十字架でも背負って、前進して、精進していきます!」と力強く天国の三沢さんに約束した。
・ (小橋、高山)試合後、高山が歩み寄り小橋の右手を上げて、三沢さんの献花台に指を突き刺した。「俺たちはこれからもここで戦い抜く」という意思表示か。
・ 三沢さんの最後のタッグパートナーになってしまった潮崎は、その苦しみを逆水平チョップに込め、徐々にペースを取り返す。さらに、三沢さんの得意だったローリング・エルボーやランニング・エルボーまで繰り出して力皇を追い詰めると、最後はゴーフラッシャーでGHC王座獲得に成功した。
・ 潮崎豪、27歳。GHCヘビー級王座初戴冠。新王者は「自分はまだまだ」という思いからか、ベルトは腰に巻かず肩にかけたまま。それでも喜びを爆発させてリングを下りると、真っ先に会場の一角にあった三沢さんの献花台へ向かう。そして遺影に向かって深々と一礼してから退場した。
・ 潮崎が去った会場内に三沢さんのテーマ曲「スパルタンX」が流れると、超満員のファンは一斉に大「ミ・サ・ワ」コールを天に届けとばかりに叫び続けた。
・ スポーツナビ|急逝した三沢社長に新日本の選手・ファンも哀悼
・ スポーツナビ|ノア戦士の菊地、青木が三沢さんへ誓う「これからも頑張ることが恩返し」
・ 三沢光晴さんの訃報は現在団体対抗戦の最中である新日本プロレスにも大きなショックを与えた。
・ 14日の新日本・後楽園ホール大会では試合開始前に1分間の黙祷が捧げられ、ノア所属の菊地毅、青木篤志がリングに上がると、新日本の選手・関係者たちが周りを取り囲んで三沢さんの冥福を祈った。黙祷中は客席のあちこちからすすり泣きの声が上がり、黙祷が終わると、観客が「三沢ーっ!」「社長、何でなんだよ!」と絶叫。あまりにも早すぎる死を悔やんだ。
・ また、菊地、青木がリングに上がると、普段はブーイングで敵意をムキ出しにする新日本サポーターズもこの日ばかりはあたたかい声援を送った。
・ 選手たちは腕や手首に黒のテーピングで喪章を巻いてファイトし、ノアの旗揚げメンバーであった垣原賢人さんも背広に喪章をつけてスーパーJr.表彰式に登壇。偉大なるプロレスラーに哀悼の意を示した。
・ バックドロップは1発のみ、選手たちは喪章をつけてファイト~新日本6・14後楽園速報観戦記まとめ: カクトウログ
・ (この日の興行を通じて)三沢光晴さんが食らった“最後の技”バックドロップは、他に見逃しがなければ、メインエベントで金本浩二が一発放ったのみだった。このあたり、観客に思い起こさせるものを最小限にしようという配慮だったのかもしれません。
・ 選手たちはほぼ全員左腕に喪章を意味する黒い紐をつけていた。ブーイングを浴びていた中邑真輔だったが、東京ドームで闘ったことからのリスペクトがあるのか、やや太めのものを巻いていたことが印象に残った。
* * *
なお、「新日も協力 プロレス界合同で追悼興行開催へ」という見出しもあったが、こちらは新日本プロレス・菅林直樹社長が「ノアが落ちついてからでしょうが、そういう話も起きると思います」と前向きに話したのみ。
都内に“戻った”三沢さん。本日15日にも都内で近親者だけで密葬となる。
ノア興行日程は、本日「15日(月) 18:30~鹿児島アリーナ」、「16日(火) 18:30~熊本興南会館」となっている。
文字を追っているだけでも、目が熱くなってくる…。とにかくボクらは、プロレスに向き合うことしかできない。
プロレスリング・ノア公式
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13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。広島県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認..... [続きを読む]
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