田中八郎氏「選手の引き抜きをやったことが一番の失敗ですよ」~資金を投入した男の反省の言葉
お伝えしたように、メガネスーパーの創業者、田中八郎氏が亡くなった。昨年12月に逝去、71歳だった。
・ 2011.02.03 メガネスーパー創業者・田中八郎氏、逝去していた~第2次UWFのスポンサー。団体SWSを設立: カクトウログ
田中氏が代表取締役社長だった時代には、前田日明が率いた第2次UWFをスポンサードした。また、事業部の一つとしてSWSというプロレス団体も設立した(天龍源一郎がエース)。
2/6更新分・携帯サイト「週刊プロレスモバイル」での『サンデー・小佐ポン』(小佐野景浩氏コラム)より。
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・ 1992年にSWSは崩壊。その後、田中氏にお会いしたのは7年後の1999年のことだった。ツヤツヤの肌、エネルギッシュなオーラはSWS当時と変わらなかっただけに、未だに亡くなったとは信じられないのだ。
・ 久々に再会の時、田中氏は「いやあ、最近はWWFにハマってしまって」と笑っていた。そして「(SWS崩壊は)選手の引き抜きをやったことが一番の失敗なんですよ。坂口(征二)さんみたいなしっかりした人を連れてきて、よく話し合って時間を急がずじっくりと土台を作って、ピシッと独自の選手を育てるべきだったんです」と取り繕うことなくSWSの失敗を語っていたのも印象的だった。
・ 返す返すも田中氏のようにプロレスに資金を投入してくれる人物は貴重だった。確かに新日本、全日本を揺るがしたが、結果的にプロレス界の改善の大きなきっかけになったはずだ。プロレス団体が選手との契約を見直し、新の意味で会社、企業になるきっかけになったことは間違いない。坂口さんも「SWS設立以前に田中社長と知り合っていたら、プロレス界ももっともっと違う方向に行ってたと思うよ。それが残念だったな」と言っていた
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プロレスマスコミからのバッシングにより崩れ去ったという見方もできるのに、「選手の引き抜きをやったことが一番の失敗なんですよ」とは…なんて大人な人なんだ!
崩壊してからの、田中氏が坂口を、坂口が田中氏を意識したコメントも興味深い。プロレス界とのボタンの掛け違いがないようにもっていけたとしたら…かなわなかったことが惜しまれる。
田中さん、いまごろ天国で、肩の力を抜いてプロレスを観ていてくれるといいなぁ。
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