アントニオ猪木、上田馬之助さんの秘話を明かす~「シンへの加担はオレがひらめいた」ほか
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上田馬之助さんが21日に亡くなったが、24日にアントニオ猪木が記者に上田さんをしのぶ中で秘話を明かしている。
ひとつめは、大悪党・上田馬之助誕生に関するもの。
・ アントニオ猪木、馬之助さんの秘話語る/リング/デイリースポーツonline
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IGFのアントニオ猪木会長(68)が24日、都内で、21日に亡くなった好敵手・上田馬之助さん(享年71)をしのんだ。
上田さんは日本プロレスの後輩で「かなりぶきっちょな人だから、かなり努力したと思う」と素顔に触れた。「強烈なイメージは新日本に上がったときから。こんな悪い(タイガー)ジェット・シンに日本人がどうして加担するんだ?って、オレがひらめいた」と、大悪党・上田馬之助の誕生秘話を説明した。
「何年か前に大分に行ったときに(上田さんが)来た」のが最後の対面。「いい奥さんに恵まれて、悔いがないんじゃないでしょうか」と、晩年に思いを巡らせた。
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タイガー・ジェット・シンをヒールに仕立てて新日本プロレスの闘いの軸を猪木がつくっていった歴史は明らか。上田さんをシンとくっつけたアイディア主が猪木だったとしても驚きはない。ただ、裏話に関しては“墓場まで持っていく”タイプの猪木がこういう話をするのは珍しい。
もうひとつ、話は猪木自身の日本プロレス永久追放の件へ。
・ 猪木「寂しい」 馬之助さん暴露話で偲ぶ - プロレスニュース : nikkansports.com
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21日に亡くなった元プロレスラーの上田馬之助さん(本名・上田裕司、享年71)と現役時代に血の抗争を繰り広げたIGFのアントニオ猪木会長(68)が、故人をしのんだ。24日のニコニコ生放送出演後「不器用な人だったが、努力した。いい奥さんに恵まれて悔いはなかったと思う」と振り返った。上田さんの密告で日本プロレスを永久追放されたが「裏切りの張本人はジャイアント馬場だったが、上田さんは“馬場さんにやらせるわけにはいかないから”と。同期が旅立って寂しい」と話した。
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この件がボクらにどう伝わることが多かったかというと、例えば2006年の日刊スポーツの連載が参考になる。
・ 第2章~宿命のライバル馬場~: プロレスの証言者 アントニオ猪木
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71年(昭和46年)11月5日、女優倍賞美津子との挙式の3日後、猪木は行動を起こした。都内ホテルに、選手会長だった馬場を呼び出し、日本プロレスの改革の必要性を切々と説いた。猪木の挑戦要求で2人の関係は悪化しつつあった。しかし、馬場自身も幹部の経営には不満と不安を抱いていた。改革の一点で考えが一致した。リング上の感情を一時的に棚上げして、団結を約束し合ったという。
「経営内容を改善しなければ、全選手が退団する」。選手から署名を集め、日本プロレスに嘆願書を提出した。この時点で、選手たちは一致団結していた。しかし、猪木はあまりに急ぎすぎた。側近だった計理士とともに臨時株主総会を招集。一部幹部の追放を提案した。この強引な行動に馬場は疑問を持った。一枚岩が揺らぎはじめた。馬場をはじめ改革案に賛成していた選手たちが、会社側の説得に次々と考えを変えた。行動派の猪木と慎重派の馬場。性格の違いが、運命の分かれ目になった。ついに2人の関係はリングの外でも決裂した。
猪木「あるレスラーが幹部に『猪木が日本プロレスを乗っ取ろうとしている』と密告したんだ。会社側は『猪木のクーデター』と宣伝し、馬場さんも含めてみんな会社側に寝返ってしまった。オレは、もう走りだしたものは戻れないから、突っ走るしかなかった」。
71年12月6日、猪木は選手会から除名された。同13日には日本プロレスから「乗っ取りを謀り、行動に移していた」と永久追放処分を受けた。1カ月前、女優の倍賞美津子と結婚式を挙げていた。当時の史上最高額1億円の超豪華式。まさに天国から地獄に突き落とされた。
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ここにある密告者としての“あるレスラー”が上田さんとされてきたわけだが、上田さん自身は確かに「最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは馬場」という証言もしている。
・ 上田馬之助 (プロレスラー) - Wikipedia
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ただ2007年1月から5月にかけて東京スポーツにて連載されていた「上田馬之助 金狼の遺言」において、上田は「実はあの事件で最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは馬場であるが、当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」と語っている。上田は「証拠となるメモも残っている」と語っており、これが事実なら定説が覆ることになるが、今となっては馬場を含め当時の関係者の多くが亡くなっていて事実関係を検証するのは困難であり、真相は藪の中というのが現状である。
いずれにせよ、この事件が発端となり馬場と猪木の決裂は決定的なものとなり、「新日本プロレス」を旗揚げした猪木、「全日本プロレス」を起こした馬場が日本プロレスから離脱、客の呼べる両エースを失った日本プロレスは崩壊した。慎重派といわれた馬場は、この事件についてその後一切語らず、以降信頼関係を第一に考えるようになった。「裏切り者」の汚名をきせられた猪木は、以降攻撃的な策士の面をみせる一方でその行動にはスキャンダルが付きまとった。元来お人好しで馬場より猪木と気が合ったといわれる上田は、以降孤独の身となりフリーとして悪役レスラーを貫き通した。馬場・猪木・上田のみならず日本のプロレス界にとっても重要な出来事であり、三者の心に暗い影を落としたことも事実である。
上田は引退興行の際「猪木さんにお詫びしたい」と語ったといわれ、後に和解したものの、猪木は「追放された事実よりも仲間だと思っていた上田の裏切りに深く傷ついた」と語っている。
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誰が正しい・正しくないとかは、どういう側面から語るかの問題なので重要ではない。ただ、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が袂を分かつ場面に上田馬之助さんがいた。
断腸の思いで馬場を守り、新日本プロレスでは猪木に尽くした。新日プロでのヒールぶりには、猪木を裏切ったという負い目もあったということか。
ここには、単に“日本初の本格ヒールレスラー”という言葉では片づけられない上田さんの味わいがある。
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