竹内宏介さん死去~プロレスマスコミの立役者、ゴング誌を率いる【追記あり】
3日、かねてから闘病が伝えられていたプロレスマスコミの立役者、竹内宏介さんが亡くなった。
昭和プロレスの幹部に信頼され、テレビ解説者やご意見番でもあり、ゴング誌を中心に「プロレスとはこういうものだ」という世界観をボクらに発信し続けてくださいました。偉大な人物でした。
ご冥福をお祈りいたします。
<週刊プロレスモバイルより>
元日本スポーツ出版社代表取締役でプロレス専門誌ゴングの創始者だった竹内宏介(たけうち・こうすけ)さんが3日、午後8時24分に腸閉塞のため永眠した。享年65歳。
竹内さんは1947年1月6日、静岡県熱海市生まれの東京育ち。ベースボール・マガジン社に入社し、19歳の若さで本誌の前身である「月刊プロレス&ボクシング」の編集長に就任。日本スポーツ出版社ではゴング誌の創刊に参加し月刊、別冊の編集長を歴任。同社の代表取締役も務めた。長年、日本テレビ系の「全日本プロレス中継」の解説者としても活躍し、故ジャイアント馬場さんの良き相談相手であり、ミル・マスカラスの仕掛け人としても知られた。06年12月に脳梗塞で倒れ病床についていた。
(以上、10:58 携帯から更新)
※23:05追記
ロッシー小川さんが竹内氏の功績を振り返っている。
・ 竹内宏介さんが天に旅経った… - ロッシー小川ブログ MY FAVORITE LIFE
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竹内さんの功績…ゴング誌はそれまでプロボク誌が創り上げてきた、新聞の雑誌版という内容を大きく打破、独創的な企画でプロレス・ファンに夢を与えたのだ。私が専門誌と出会ったのが昭和43年3月、このゴング誌の創刊号からだった。それから毎月、ムサぶりつくようにゴング誌を読破した。ゴング誌によって世界のプロレスを知り、外国人に興味を持ったのだ。そしてミル・マスカラスの売り出しに大きな役割を果たしてくれた。竹内さんの手法は昭和40年代の少年漫画月刊誌のようで、雑誌の付録を付けるという発想は当時、とても新鮮だったのだ。
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三田佐代子さん、鈴木健さんも。
・ 第191回 竹内さんに教えて頂いた日々 三田佐代子の猫耳アワー
・ 鈴木健.txt OFFICIAL WEBSITE Ken@suzuki.txt が投稿した記事 プロレスマスコミの先人・竹内宏介さんの訃報を心よりお悔やみ申し上げます
・ ゴングの竹内宏介さんがお亡くなりになられました (ファイト!ミルホンネット お知らせ)
※5/5 11:35追記
4日の通夜も含めてスポーツ紙が報道しています。
・ 「ゴング」元編集長・竹内宏介氏が死去/リング/デイリースポーツonline
・ 昭和のプロレスを名解説…評論家の竹内宏介氏が死去 ― スポニチ Sponichi Annex 格闘技
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・ 4日、都内の調布メモリードホールで通夜が営まれ、新日本の坂口征二相談役のほか藤波辰爾、武藤敬司、グレート小鹿、百田光雄、新崎人生らが参列して冥福を祈った。坂口氏は「昭和のプロレスの味方がまた1人亡くなって寂しい」と、故人をしのんだ。告別式は5日午後0時半から同斎場で営まれる。喪主は繁子夫人。
・ (通夜)竹内さん遺影の横にはマスカラスらの花も飾られた。
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ミル・マスカラスからも花が届いている。
>> 竹内宏介 - Wikipedia
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