竹内宏介さん危篤で元ゴングスタッフが駆けつける~葬儀準備ではGリング派とGスピ派もひとつに
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3日のゴング・竹内宏介さん死去の報はファン歴の長いプロレスファンを悲しませたが、、、
・ 竹内宏介さん死去~プロレスマスコミの立役者、ゴング誌を率いる【追記あり】: カクトウログ
天国に行く際の様子を元ゴングカメラマンの大川昇さんが記事にしている。
・ "ミスター・ゴング” 逝く|プロレスカメラマン 大川 昇のブログ
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昨夜20:24、入院先の病院で”ミスター・ゴング” 竹内宏介さんが息をひきとられました。
5年半の闘病生活は奥様と二人三脚。
最後はお孫さんたちが、泣きながら大声で「おおパパ、おおパパ」と声をかけ、娘さんたちが身体をさすりながら、穏やかに逝かれました。
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・ ”感謝”|プロレスカメラマン 大川 昇のブログ
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5/3は奥さんのお誕生日、僕ら夫婦が病院に向かう途中、奥さんから携帯に電話がかかってきた。
僕が病院に着くと娘さんたちが身体を一生懸命さすり、孫たちが「おおパパ頑張って!」と泣きじゃくりながら声をかけていた。奥さんは「お父さんありがとう、ありがとう」と声をかけ、家族が一つになっていた。
吉川くんと小川さんにも手伝ってもらい、できる限りの人たちに連絡した。
20:24、安らかに息を引き取られ、22時半には竹内さんは帰宅された。
もちろん実感はない。現実的な葬儀の打ち合わせがあり、かけつけた清水さん、小佐野さん、金沢さん、田中さん、吉川くんとゴングの編集会議状態で、皆で「竹内さんを盛大に送り出そう!」と
手分けして、連絡しまくった。
バラバラになってしまった僕らだけど、そいいえば昔はこんな風にチームワーク良かったなって。
一瞬かもしれないけど、竹内さんが一つにしてくれた。
亡くなられた翌日の急なお通夜にもかかわらず、たくさんの選手、団体、マスコミからもお花を頂き、坂口さん、百田さん、小鹿さん、藤波さん、武藤さん、新崎人生選手には、ご参列して頂いた。
またライバル誌だった週刊プロレスさんからもお花を出して頂きましたし、社長さんや編集部の方にも参列して頂きました。
特に”同志” 菊池孝さんの弔辞は、心に響きました。侍だなあって。
プロレス界として盛大にお送りできたと思います。
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こんなエピソードも。
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PS、あまりにも急だったので結果的には間に合わなかったけど、”仮面貴族”ミル・マスカラスはスケジュールを調整して、葬儀に参列しようと飛行機のチケットを手配しようとしていたんです。
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危篤から葬儀準備などの周辺の動きを元ゴング編集長の小佐野景浩さんが記事にしている。
・ maikai: ご報告
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すでに様々なメディアで報じられていますが、竹内宏介さんが5月3日午後8時24分、永眠されました。その日の私は、昼間は後楽園ホールでスターダムを取材、帰宅してからは原稿を書いていました。正確な時間は憶えていませんが、カメラマンの大川昇君から竹内さんが危篤状態にあることを知らされ、慌てて病院に向かいました。恐らく私が到着したのは8時30分~40分ぐらい。竹内さんのご家族、大川君夫妻、清水勉さん、吉川義治君、大日本印刷でずっと週刊ゴングを担当してくれていた須藤幹夫君ご家族に囲まれて安らかに逝かれたとのことでした。私、その後に駆けつけてきた金沢克彦君、田中幸彦君は残念ながら間に合いませんでした。
その後、竹内さんのご自宅で奥様や家族の方たち、大川君、清水さん、金沢君、吉川君、田中君と葬儀の打合せへ。嘆き悲しんでいるよりも、いかにして竹内さんを送り出すことができるのか…通夜が翌4日、告別式が5日というスケジュールになったため、手分けして電話やメールで連絡したりと、みんなが竹内さんのことを想いながらひとつになっていました。皆さんがご存じのとおり、竹内さんが倒れて4ヵ月後の07年3月に週刊ゴングは休刊になってしまいました。その時点で、日本スポーツ出版社は事実上、機能しなくなり、社員、週刊ゴングの編集部員、カメラマン、フリーとして週刊ゴングに携わっていた人間は、それぞれに自分の道を模索しました。私はその2年前からフリーとして活動していたので仕事環境や生活が激変することはありませんでしたが、複雑な人間関係の中で(と書いてはいるものの、いまだにどうしてそうなったのかは正直わかりません)同年9月にはGスピリッツ(清水、小佐野)とGリング(金沢、吉川、大川)に分かれてしまいました。そんな5人、そしてファンクラブ時代からの仲間の田中君が深夜にひとつの目的に向かって顔を突き合わす日が来るとは思ってもいませんでした。これも竹内さんの大きな意思だったのかもしれません。
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いずれの記事についても、ぜひリンク先の全文をお読みください。
危篤の連絡で駆けつけた元ゴングスタッフ。見届けることができた人、できなかった人。そして、葬儀準備にあたったGリング派とGスピ派。竹内さんのもとに集まっていたんだと思うとグッとくる。思いはひとつ。
ボクらにとっては、週プロ派に対してゴング派があった。ボクは週プロを中心に読んでいたが、両方があって気づかされたことがいっぱいある。熱い時代の中心に竹内さんがいて、ゴングがあって、、、あの時代が本当になつかしいし、あの時代がなくなっているんだなぁと改めて心に刻まれるような竹内さんの死でもあった気がする。
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>> 竹内宏介 - Wikipedia
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