闘わないまま5年経過~田村潔司が語った「高田との別れ」「桜庭3連戦の真相」「最後の大勝負の可能性」
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正確に言うとこの大晦日で丸5年となるが、田村潔司が2008年12月31日「Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~」メインイベントでの桜庭和志戦を最後に試合をしていない。
そんな中、第2次UWF入団から25年が経ち、『KAMINOGE』での格闘人生振り返りインタビューに応じている。当サイト読者には読んだ方も多いと思うが(未購入の方はぜひお買い求めください)、腕ひしぎ逆ブログさんのお力をお借りして秋の夜長にいまいちど噛みしめておきたい。
赤いパンツの頑固者が語る「高田延彦との別れ」「桜庭和志3連戦の真相」「最後の大勝負の可能性」とは?
KAMINOGE vol.20より。
KAMINOGE vol.20 7月23日発売!田村潔司“赤いパンツの頑固者”格闘人生25周年インタビュー中編「ボクと真剣勝負してください」/柴田勝頼×KENTA対談「とにかく“自分たちがやりたいプロレス”をずっとやっていれば届く人にはいつかかならず届くはずだし」/甥っ子が語る最初で最後の「“突貫小僧”星野勘太郎の真実」星野真二新日企画代表
高田延彦率いるUWFインターナショナルに所属していた田村。大半の選手が新日本プロレスとの対抗戦に参加する中で、田村は首を縦に振らなかった。それがUインターおよび高田との別離につながっていく。
・ 【腕ひしぎ逆ブログ】 一番大きなボタンの掛け違い~前編~
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田村
「俺だって出たい気持ちはあったから。(略)東京ドームで試合なんかしたことなかったし、ああいう大きな舞台だからね、出たいっちゃあ出たかったんだけど、なんか出なかったんだよね。わかんないけど(笑)」
「いいのか悪いのかわからないけど、俺は(UWFインターナショナル発足前に)UWF(=第2次UWF)の解散を経験してるじゃん。俺の人生、あそこで終わっててもおかしくないなと思ってたの。だから、あそこで終わってると思えば、いつ廃業になってもいいかなって。で、せっかくやれているなら、自分の考えを曲げてまでやりたくないことをやる必要はないなってことで」
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・ 【腕ひしぎ逆ブログ】 一番大きなボタンの掛け違い~後編~
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田村
「うん、その後試合に干されたり、給与の支払いがストップしたけどね。自分ではそこまで行くとは思ってなかったんだけど。まあ、そのときはいろんな感情があったけど、結果的には会社の方針に従わなかったんだから仕方ないことだよね」
「これもあんまり覚えてないけど、たしか道場で練習後だったと思うんだけど、高田さんから『田村、このあとちょっといい?』って言われて、高田さんがどっかの取材を受けたあとに話をするってことになったんだけど、その取材が凄く長かったんだよ。で、その話っていうのも、空気的に対抗戦の話なのかなっていうのは察して、取材は長いし、いつ終わるかわからないし、俺は一回道場を空けちゃったんだよね。それで、あとで道場に電話して『高田さんに代わってくれ』って言ったら、『高田さんは“代わらない”って言ってます』って言われてさ」
「その後、ひとり多摩川で小1時間『俺、これからどうなるのかな』って、ポツーンと考えていた記憶はあるな。『えらいことしちゃったなあ』って」
「うん、そっから、高田さんだけでなく、みんなとも距離ができちゃって。やっぱりみんなは、いい意味で言えばインターを守るために新日とやって、対抗戦に向けた練習をやってるわけじゃない? そうなると俺も道場に行きにくくなって、近所のスポーツジムに入会して、そこで練習するようになって。そんな感じで距離ができちゃったよね」
「対抗戦があった東京ドームの前、鈴木健さんに『メシ食おう』って誘われて、メシ食ったんだよ。それでドームの対抗戦の2日後にインターの大阪大会があったんだけど、『大阪は休んで』みたいな言い方で俺が外されることが告げられてね。自分の居場所がなくなって」
「道場にも練習に行けなくなり、近くのジムで練習するっていう状況が2、3ヵ月続いたのかな? そんな状況で、K-1のほうから『パトリック・スミス戦をやらないか?』っていうオファーが来て、何とか素手のアルティメットルールで勝つことができたんだけど、勝ったあとに『田村さんひとりだけおいしい思いをして』的な声もちらっと聞こえたりして」
「でも、その『おいしい思いをした』とか『いい格好して』っていうのは結果論だから。こっちとしたら、負けたら引退、廃業だと思ってたからね。そこまで究極に追い込んだ状態でやって、何とか生き残ることができて。それを『ひとりだけおいしい思いをして』って言われたら、ちょっとショックっていうか。みんなとの距離が、より開いた感じだったな」
「あと、パトスミ戦のあと、手のひらを返したように話をしてくる人もいて。当時は心を閉ざしてたから、『人って単純なんだな~』って。そのころから、孤高の王道を歩きはじめたわけよ。(略)俺が対抗戦に出なくて孤立してるとき、本当に心配で声をかけてくれる人は少なかった」
「…あっ! でも、高田さんにはパトスミ戦の試合前に食事に連れて行ってもらった。(そこでの話の内容は)いやいや、そこは高田さんとの個人的なことだから、ちょっと言えないけど」
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「せっかくやれているなら、自分の考えを曲げてまでやりたくないことをやる必要はない」と対抗戦に背を向ける。さらにパトスミ戦でのまわりの手の平返しに辟易して、本人いわく「孤高の王道を歩きはじめた」。
自身の闘いを曲げなかったことから、高田との別離の流れができていく。さりとて筋を通そうとしなかったわけでもない。このあたりボクらはどんな解釈もできなくもないが、田村なりにまわりの対応に絶望感を感じていたことはうかがえる。
オールドファンでなければこのあたりの話はチンプンカンプンだろう。だけれども、プロレスの中から格闘技路線が生まれ、行きつ戻りつする中でどういう進路をチョイスするか。それを選手生命を賭けて考えていた、そこに意味があった時代が存在したのだ。
話は進んで、KAMINOGE vol.21 より。
KAMINOGE vol.21 8月22日発売!あの夏の日の感情は、ある日また君を訪れる――。前田日明ともっと仲良くしたい。前田日明と話した2時間18分 / 田村潔司「最後にもう一度大勝負? それはわからんし、引退試合だってやるかわからない」
UWFインターナショナルに居場所がなくなり始めた田村は、桜庭との3連戦(1996年)をマッチメイクされる。ここには、のちの2008年の両者の対戦時に桜庭が「1試合目と2試合目はシュートだった。(3試合目は)プロレスです」と発言したという“因縁”が絡む。
・ 【腕ひしぎ逆ブログ】 赤い月が語った橙色の太陽の話~前編~
・ 【腕ひしぎ逆ブログ】 赤い月が語った橙色の太陽の話~後編~
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― で、その桜庭さんとの3連戦では「1試合目と2試合目はシュートだった」って、2008年大晦日の煽りVで桜庭さん自身も言ってましたけど、なんでシュートでやることになったんですか?
田村「いや…、『シュート』とか『真剣勝負』っていう言い方もおかしいんだよね。次元が低いというか。そんな表現した本人に聞いてみてよ。何を主張したいのかがわからない。そんなことは誌面で話す内容じゃないし、試合が決まって桜庭とのコンタクトは一切ないっていうだけだから。だから、あったとしても…あ、コンタクトあったな」
― あったんですか!
田村「なんか試合が決まったとき、サクに『ジャイアントスイングやっていいですか?』って言われたんだ」
― そんな申し出が!(笑)
田村「『やれるんだったらいいよ』って言って、そんな感じよ。ちょっと表現が難しいけど、俺らは『普段やってることを自然にやればいいじゃん』的な感じだから。勝つんだったら勝つっていうか。だから2試合目のとき、スリーパーを極められてギブアップしそうになったことがあったんだけど、そこでギブアップしても、それは流れの結果だからしょうがないって思ったんじゃないかな。武道館でやった1試合目は、自分のスタイルが桜庭とうまく噛み合って、真剣勝負を超えた次元の満足する試合内容だったと思う。相手がサクだったから成立していた部分も多々あるし」
「桜庭と3連戦で3連勝したことは、凄くいい経験になったし、ひと区切りするためのひと区切りになったし。アイツがどういう意味でシュートとか真剣勝負って表現したかは知らないけど、それだったら俺が負け越すかもしれないし、彼が勝ち越す可能性だってあったわけだから。結果は俺が3連勝、彼が3連敗。大晦日を入れると彼が4連敗したってことだよ」
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ここからは、シュートとプロレスといった二次元論ではなく、「満足する試合内容」という田村ならではの価値観が強調される。あの煽りVから実に5年スパンでこんな“やりとり”が行われていることに、たまらない味わいを感じる。
田村にとって「満足する試合内容」とは、「俺のUWF道を貫くため」のもの。
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― 田村さんは、あの桜庭戦以降は試合してませんけど、やっぱり自分の中で、桜庭戦をやってしまったら、もう次なる試合のテーマが見当たらないって感じなんですか?
田村「んー、でもその前に『場所』がない(笑)。(略)単純に自分がやりたいことなのか、ピンとくるかこないかなんだけど、そうじゃないときもあるし、ジムで大会開いても、むしろマイナスになってるときもあるし。それは自分で好きだからやってるわけだから。PRIDEからのオファーを蹴ってさ、ジムの仕事やってると、効率的には数百倍違いがあるけど、それはやりたいからやってるわけだからね。だからそれはね、なんかわかんない。AB型のヘンなこだわりなんだろうね。どうでもいいことにこだわったりしてるから」
「プロレスか格闘技かとか、そういうこだわりはないんだけど。俺のUWF道を貫くためだったら、それが200人規模の会場でも、大きな会場でも、やりたいことだったら規模にはこだわらないけど」
― そんな限られた時間の中で、最後にもう一度大勝負とかは考えてないですか?
田村「それはわからんし、引退試合だってやるかやらないかわからないけど。やりたいことがあるかどうかだね」
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最後の大勝負は否定も肯定もせず。だけれども、もう田村が満足するレベルでUWF道を貫ける場はできない気がする。このまま引退となってしまうのか。
対抗戦に出撃する・しない。マッチメイクを承諾する・しない。田村の一挙手一投足は、かつて本当にメディアを賑わした。いや、みんながそれで田村を好きだったわけじゃない。桜庭などは「『頑固』っていうのと『わがまま』っていうのは違うと思う」と全面否定。ファンを巻き込んで語り合った熱い時代が本当に懐かしい。
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