天龍源一郎「一番支えてくれた家内が病気になって、今度は私が支える番」~名セリフ連発、最高の引退会見全文
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7日に一部メディアで伝えられた天龍源一郎の引退。9日に会見が開かれ、天龍の口から決意が明かされた。
スポーツナビが会見全文を掲載している。上の写真もスポナビより。
・ 「腹一杯の楽しいプロレス人生だった」|コラム|スポーツナビ
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■嶋田紋奈社長
昨年末、天龍本人より引退という二文字が出ました。長らくこの世界に身を置き、また体ひとつで50年以上寄り添った格闘技の世界ですので、一時期の気持ちの問題ではないかと幾度となく話を重ねて確認したところ、本人の覚悟も強く、私の個人としての思いもあってこのような報告となりました。
先日65歳を迎えて、ケガでの長期欠場もありましたが、病気やケガ、年齢などによるネガティブな決断ではないことは強くご理解いただきたいと思います。
決断から本日までの短い期間で準備するにはあまりにも大きな出来事でしたので、はっきりしたことはすべてお話できるわけではないですが、天龍本人からの申し出もありましたので、11月13日という天龍がデビューした日に近い日程で引退興行を考えています。正式な場所や日程は現在協議中です。
本日より9カ月あまりありますので、来る日まで1人でも多くの方に感謝の思いを伝えに行けるように、できる限りさまざまところに足を運べるように考えています。その中で最終引退興行となる11月までを大きなひとつのシリーズと考えて、「〜天龍源一郎 引退〜Revolution FINAL TOUR」と銘打ちまして、何大会か開催していきます。
ファンの皆さまと関係者の皆さま、天龍とともに心ひとつに駆け抜けて、天龍を華々しく、すがすがしく、次のステージに繰り出していただけましたら幸いです。
■天龍源一郎
私、天龍源一郎は本年度の11月をもちまして現役を退き、プロレスラーを廃業することを決意しました。そこまでの期間は猶予があるとはいえ、相撲からプロレスに転向して、11月に初めてアメリカのリングに上がりまして、それを記念としまして、そこをけじめにして、廃業というくくりにしました。応援してくれた皆さまには本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
私はプロレス界に恩返しするために11月にいろいろな選手と戦いたいとか希望もありますけど、11月の終焉までに納得できれば、すがすがしい気持ちでリングを去れれば、という一念です。プロレスラーになって本当に楽しい、いい人生だったと思います。
以下は質疑応答。
――引退の理由は?
僕はプロレスラーをずっと続けてこられたのは、うちの家族の支えがあって、このわがままな天龍源一郎をずっとプロレスラー1本でやっていけるように支えてくれたんですけど、一番支えてくれた家内が病気になって、そのこともあいまって、プロレスの人気が盛り返したときに、身を引いて今度は私が支えていく番じゃないかなと思ったこともあります。これだって言われると、これだっていうのはないんですけど、そろそろプロレス人気も盛り返して、そろそろ潮時かな、というそんな感じですね。
――プロレス生活40周年の思い出は?
試合で言えば、馬場さんと猪木さんからフォールできたことが俺の中の誇りです。プロレス人生で言えば、アメリカに行ったときにウィリー・ネルソンとか、エルビス・プレスリーとかのショーを生で見られたことが思い出に残っていますね。
――プロレス生活で一番つらかったことは?
振り返れば、腹一杯の楽しいプロレス人生でしたよ。たかだか幕内の相撲取りが、プロレスラーになって一丁前に名前を知られるようになったということで、プロレスラーになって良かったと思っています。馬場さんに感謝しています。
――どんな引退興行にしたい?
僕はどこでもけじめとしてやってもらえればいいという感じですから。今は具体的にどうのこうのは、何も思っていないです。ただ、11月に天龍源一郎から嶋田源一郎に戻って、どこかそこらへんをうろうろしてるんだろうなと思っています(笑)。
――最後の試合に対戦したい選手は?
本当に何もないですね。今は。今、一番びっくりしているのはこんなたくさんの人に来てもらえたことが一番びっくりしています。ありがとうございます。
――引退後については?
奥さんにゴマすりますよ。
――後輩の育成は考えている?
今のプロレスには天龍源一郎は古いタイプだから、それはないと思いますけど。本当に今は何も思っていません。
――天龍源一郎にとってプロレスとは?
そうですね、難しい質問ですね。僕は相撲で一番最初に天龍源一郎という名前をつけるときに、先代の天龍さんから「この名前を絶対おとしめてくれるなよ」と釘刺されたことがあったんですけど、それはかろうじて果たせたかなという気持ちですね。プロレスラーになって良かったです。
――地元・福井県民へのメッセージは?
この年になると、恐竜大使もやらせてもらっていますし、食べ物でいえばボッカケ大使もやらせてもらっていますし、望郷の念がすごく湧いてきているのは事実です。それも含めて、嶋田源一郎に戻りたいなと、ふと思ったときに、プロレスをやめるときが来たのかなと感じた次第です。福井の人たちには応援してもらっていますし、感謝しています。
さっと引くのもある意味格好いいと思いましたけど、39年もプロレスに関わってすごくいい思いをさせていただいたので、これからはオレが残り9カ月間、プロレス界に恩返しできればという気持ちが結構大きいですね。
――引退発表後、3月6日に天龍プロジェクトがあるが?
はじけてやりますよ。ありったけのやれることはやろうと思っています。悔いのないようにやっていきたいと思います。
――引退の理由が体調不良ではない?
それは違いますね。体調は上がってきていますし。体調が悪かったらもっとしがみついていたと思います。プロレス人気も上がってきていますし、新世代の人たちも頑張っていますし。うちのいろいろな事情も含めて、なんとなくそろそろかなというのが正直なところですね。
――プロレスラーの後継者はいるか?
そんなこと言ったらうぬぼれるからやめておきます(笑)。何人かはいますけど。
――先日、全日本プロレスの馬場さんの17回忌興行に参戦したが、どういう気持ちだった?
うちの代表が辞める辞めないの話をしていたときに、「天龍ができることは馬場さんの17回忌に出て恩返しをしなさい」ということで、馬場元子さんとか、秋山(準)社長とか、諏訪魔選手に連絡して、「天龍がこういう状況でことしで辞めるかもしれないのでぜひ良かったら出場させてやってくれ」という要望をしていたらしいんですね。僕も全然知らなくて、後になって知ったんですけど。そういう意味では馬場さんの17回忌の追善興行に出られて、自分の中ではずっと思い出に残っていくもんだと思っています。本当にありがたいと思っています。
――家族の支えとは?
無茶無茶でしたから。無茶無茶の中で頑張ってこれたのは、逆に言えば家族がいるから頑張ろうという思いにさせてくれましたから。これからは身内の人たちに恩返しをしていきたいなという意味ですね。オレが少しでも身近にいて何かの手助けになるならという感じです。
――引退後のタレント活動は?
ご飯を食べていくためにあるにこしたことはありませんけど。こればっかしは何とも言えませんけどね。オレの言っていること理解している? 営業妨害してない(笑)?
男が生きていくのは大変ですから、やると決めたら腹を決めていろいろな仕事に向かっていきたいと思います。ナレーションの仕事? 来るんですかね? 恐ろしい話ですね(笑)。来たらやりますよ!! 新しいことをやることによって、脳みそが活発に動きますから。頑張ります。
――引退ではなく廃業という言葉を使ったが?
廃業ですね。今後、プロレスとどういう関わり方があるのかなと思ったときに、別に指導とか解説とかがあるわけじゃないですし。本当にプロレス界から廃業だと思っています、オレの中では。
――ラストマッチについては? 両国国技館という話もあるが?
いや、両国なんてあんな大きなところで、というのが正直な気持ちですね。オレはどこでも自分の中で線引きして、「天龍源一郎がプロレス界から終わった」ということを自覚できるような場所ならどこでも。オレの中でけじめをつけたいという話です。
――あらためてジャイアント馬場さんについての思いは?
相撲でちょっと尖った天龍源一郎がいて、実社会というか、プロレス界で馬場さんに「天龍、そういうことはダメだよ」とかいろいろなアドバイスをしていただきました。尖った天龍源一郎がいて、プロレス界に入ってちょっと楕円形の天龍源一郎の人間形成ができて、結婚してフルムーンのような人間になれたと僕は思っています。そういう形態を作ってくれたと思っています。
馬場さんもそうですけど、全日本出身の天龍源一郎と一騎打ちの肌を合わせ覚悟を決めてくれた猪木さんにも感謝しています。再戦を、という話もあったんだけど、勝ち逃げさせてもらって、本当に悪いことしたなと思っています。
――一番のライバルは?
どうですかね。うーん、一番のライバル…難しいですね。その時々で…。ただ一番最初に入ったときに、一番身近にいて、一番影響を受けたのは、やっぱり(ジャンボ)鶴田選手でしたね。入ったときに鶴田選手を見ながらあーでもない、こーでもないという天龍源一郎がいたのは確かです。
――引退という言葉を出してすっきりした?
肩の荷が下りましたよ。今日もここに来るときに代表とも話していたんですけど、いつも行きも帰りも、勝ったときは気持ちが高ぶって、来るときは試合前の不安な気持ちと戦うというイライラした気持ちで。今日は記者会見ということで、あっ自分の気持ちを素直に話せばいいんだなということで、後楽園に来て本当に肩の荷が下りたという感じですね。
また試合が近づいてリングに上がれば、イライラとか自分の何かが生まれてくると思うんですけど、それはそれでまた楽しみたいと思っています。
――残り9カ月だが、どんな感情か?
9カ月もあるのか、9カ月しかないのか、難しいところですけど。相撲から始まって格闘技生活50年を超えますけど、(イライラするような)そういう気持ちしか抱いたことがないもので…。ちょっと想像できないですね。寂しいのか、もっとすっきりするのか。これも微妙な、境目が理解できないというのが正直な気持ちですね。
――あらためてプロレスとは?
本当に力道山関がアメリカからよくぞ持ち込んでくれた大衆娯楽のトップだと思っています。と、同時に天龍源一郎がこんなに人から「天龍だ」と言われるようにしてくれたのもプロレスだと思っています。こんなに自分がプロレスにはまるとは夢にも思っていなかったです。ある種のアメリカから来て日本が生んだ新しい伝統芸能だと思っています。
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注目された引退試合の会場・日時発表はなし。
されど名セリフ連発、最高の引退会見。床に腰を下ろしてファンに頭を下げるシーンも。特に心が動いたところは赤字にしました。
いちばん印象に残ったのは、身内での自身の役割、プロレス界での自身の役割の両方を整理して話をしていること。
プロレスラー一本で来れたのは奥さんほか身内のおかげであり、身内としてこれからは支えるという決意。武骨な天龍がこのセリフを吐くもんだから、グッときてしょうがない。
もう一つ、プロレスの人気が盛り返してきたことも理由に挙げた。現状は天龍が上がっているわけではない新日本プロレスの独走との見方もできる。ここからは、自身が直接関わる・関わらない(ギャラを得られるかどうか)ではなく、プロレスが復活することを“願い”として闘ってきた印象を受けるのだ。
関連情報も拾っておきます。
・ 天龍の次戦は2・21道頓堀プロレス-ファイト-デイリースポーツ online
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【天龍プロジェクト主催試合】
▼3月6日 新木場1stRING
※メーンイベントで出場。天龍・嵐-那須晃太郎・杉浦透。60分1本勝負。
▼4月3日 新宿fACE 5月30日 大阪・ボディーメーカーコロシアム第2競技場
【他団体参戦予定試合】
▼2月21日 道頓堀プロレス 大阪大会
▼3月15日 かしま元気プロジェクト
▼3月23日 FREEDOMS
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・ 天龍引退興行に主要3団体が全面協力
全日本プロレスの秋山準社長、新日本プロレスの菅林直樹会長、ノアの丸藤正道副社長がコメント。
・ 引退の天龍に長州「本当に感謝」-ファイト-デイリースポーツ online
・ 長州力オフィシャルブログ - Listen to POWER HALL - choshuriki.com
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(ブログを1年3カ月ぶりに更新)
天龍源一郎選手、長い間、本当にお疲れ様でした。
僕たちは僕たちで今のプロレスとはまた違った激しいプロレスをやってきたと思ってます。
そして、その時代に“天龍源一郎”という凄いプロレスラーがいてくれたことに本当に感謝しています。
予定されている11月の最後の試合まで頑張ってください。
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・ 天龍の引退に藤波「寂しいね」 リングでの“再会”を希望 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
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プロレスラーの藤波辰爾(61)が9日、デイリースポーツの取材に応じ、同年代に活躍した天龍源一郎の引退表明を残念がった。2人は80年代に長州力、故ジャンボ鶴田さんとともに並び称されたライバルだった。
「1週間前くらいにテレビで共演したときは何もそんな話はなかった。今思えば、心なしか吹っ切れたような感じはあった。レスラー同士というのは、どこかで(互いに)入れない部分がある。同世代だから余計に火花が散る部分があるんだけど、そういうのがなかった。寂しいね」と話した。
天龍は脊柱管狭窄症の手術を経て、12年12月に1年1カ月ぶりの果たして以降、定期的に試合はこなしていたが、コンディションは良好とはいえなかった。やはり腰に爆弾を抱える藤波は「(天龍は)1週間前もつらそうな感じだった。あれだけプライドの高い選手。満足にリングで戦えないのは感じていたと思う。どこかで引き際というのはあるから」と体調を思いやった。
リングの上では手ごわい相手だった。「何度かシングルでやらせてもらってるけど、レスラーの中でも特殊な感じ。土台が相撲でできてたから、下半身が強く重量感のある選手だった。意識し始めたのは彼が全日本で鶴田選手とやったころから。SWSに行って、だんだん意識が強くなっていった」と明かした。
「印象に残る一戦は?」という質問には、「(93年9月26日の)大阪城ホールでの初シングル戦は印象に残ってる。(96年4月29日の)東京ドームではドラゴンロケットをパンチでかわされて、鼻から大流血した」と懐かしそうに振り返った。
ラストマッチは11月予定のため、まだ対戦のチャンスは残されており「できたらやりたいね。僕、長州の同世代は少なくなった。僕が一番(キャリアが)古いけど、同世代としてどこかで刺激し合ってやってきたから」とリングでの“再会”を希望した。
自身の引退については「選手生命を左右するような腰のケガの後は周りに左右されずに、どこまでリングに上がれるか自分自身の挑戦のようなところがある。それに息子(LEONA)がいいときにデビューしたんで、彼が本当に力を出せる時期になるまでは現役でいたいね」と語った。
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・ 天龍源一郎|高山善廣オフィシャルブログ Powered by Amrba
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昨日、
天龍サンと電話で話をした・・・
実娘の嶋田代表からマスコミ発表前に連絡を頂いた時には遂にその時が来たかと思った。
大相撲時代から闘い続けたアノ身体は最近では辛そうだったもんなぁ~
Uインター時代に初めて対戦した時に生意気ながら天龍サンのパンチに対抗して俺様も拳を叩き込んだ事は今でも良く憶えている。
後から聞いた事だけど怯まず殴り合いしたのが良かったらい・・・
新日本で天龍サン、健介、みのるチャンと外敵と云う括りで控室が良く一緒になりデビュー2~3年のアンチャンとの殴り合いを嬉しそうに話してくれた・・・
しかし、
今の俺に熊野が殴り合いを挑むようなモンだよ!?
外敵軍の時に『53歳』と新技を使い最前線で闘う姿に俺様の目標は天龍源一郎になっていた・・・・。
今年11月に引退すると発表したが最後のリングには向かい合うか、並び立つか・・・
ドチラでもイイからソコに居たいと思う。
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・ 曙“大先輩”の引退寂しがる…「天龍さんはプロレス界の横綱」 (デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
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“ミスタープロレス”こと天龍源一郎(65)が9日、都内で現役引退会見を行った。全日本の曙は、角界からプロレス転向した後輩として「寂しいですね」と残念がった。
さらに「僕らが見て学んだこと、ぶつかって学んだことをやっていくしかない。嫌なことがあっても、力を抜いたり、変な試合をしたらお客さんに失礼というのを学んだ。天龍さんは『プロレス界の横綱』です」とコメントした。
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