ウィリアム・ルスカとクリス・ドールマンの物語~日本マット界に多大な影響、大親友としての別離と氷解
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14年間の闘病生活を経てウィリアム・ルスカが14日に亡くなった。
・ 格闘技世界一決定戦 アントニオ猪木 vs ウイリエム・ルスカ
・ 【訃報】“赤鬼”ウィリエム・ルスカさん死去 76年に猪木氏と対戦 (東スポWeb) - Yahoo!ニュース
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1972年ミュンヘン五輪柔道男子で重量級と無差別級の2階級制覇を達成したオランダのウィリエム・ルスカさんが14日、死去した。74歳。国際柔道連盟が15日に発表したもので、ルスカさんは脳出血のため、2001年から闘病生活を送っていた。
世界選手権で67年と71年に重量級を制したルスカさんは、72年のミュンヘン五輪で無差別級と合わせて2階級制覇。五輪柔道の同一大会2階級制覇は史上唯一だ。
顔を真っ赤にしての激しい戦いぶりから「赤鬼」と呼ばれたルスカさんは柔道引退後、プロ格闘家に転身。76年には「異種格闘技世界一決定戦」でアントニオ猪木と対戦したが、バックドロップ3連発で敗れた。
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ルスカに関しては様々なアプローチがあるだろうが、ひとつクリス・ドールマンとの関係が気になる。
・ 「格闘技人生45周年」ではなく「UWF解散24周年」だった前田祭り~前田・船木・みのるが新証言【週刊 前田日明】 プロレス-格闘技 カクトウログ
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前田「リングス・オランダなんか全員が“アウトサイダー”だからね。もともとリングス・オランダの起源は、ミュンヘン・オリンピック柔道代表選考試合で、クリス・ドールマンがウィリアム・ルスカに勝ったこと。ドールマンが選ばれるはずなのに、委員会は実績やなんやでルスカを選び、ドールマンは干された。そのドールマンに憧れていろんな不良が集まってきた」。
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周囲からすると、ルスカとドールマンの“対立”の図式が、2人の運命を左右したことになる。ただ、この代表選考にまつわる話は他に検索してもソースが出てこず、検証が深められない。
日本マット界との関係で言えば、ルスカはアントニオ猪木との異種格闘技戦で新日本プロレスに上がり、ドールマンは前田日明との関係を選んでリングスに上がった。
こちらに2人の関係についてのエピソードが。
・ 追悼!“赤鬼”ルスカ、同じ柔道からプロレスを舞台に戦ったあの男が語る 「腕相撲、そしてポルノ映画の思い出」 (週プレNEWS) - Yahoo!ニュース
・ 元K-1王者ホーストが死去前日に見舞った最期の姿、ウイリエム・ルスカの知られざる晩年 (週プレNEWS) - Yahoo!ニュース
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関口氏の幼馴染である落語家の立川談之助氏も、来日したルスカのアテンドを手伝ったひとりだ。もともとプロレスファンだった談之助氏は興味津々でいろいろな裏話を聞いたという。
「オランダ柔道界はヘーシンクが牛耳っていて、その主流派から外れたルスカさんは孤立し、ミュンヘンオリンピックの後はバウンサー(用心棒)をやっていたそうです。さらに、奥さんが難病を患いお金に困っていた。だから、プロレスのリングに上げてくれた猪木さんには感謝していると言っていました。本当に助かったって」
そんなルスカと懇意にしていたのが前出のオランダ在住、格闘技ライターの遠藤文康氏だ。忘れられないエピソードとして、遠藤氏はルスカとクリス・ドールマンの再会を挙げる。ドールマンはUWFやリングスなど日本のリングでも活躍し、オランダから日本に多くの選手を送り込んだ功労者でもある。76年の猪木戦ではセコンドを務めた弟分であり、ルスカの大親友だった。
だが、そのふたりは長年、疎遠になっていた。きっかけは、ドールマンが新日本プロレス参戦を考え、ルスカに仲介を頼んだが、同時に前田日明のリングスからオファーがあり、リングスを選択してしまったことだ。ルスカは『あいつは俺を天秤にかけた』と怒り、袂(たもと)を分かった。ドールマンは沈黙し、そのまま距離をおいたという。
その再会は、97年9月のこと。猪木が小川直也を引き連れオランダを訪れ、その受け入れ役をルスカが務めた。猪木一行が現地の大会を視察する中、キックボクシングの会場でふたりは数年ぶりにめぐり会う。その様子を目撃していた遠藤氏が回想する。
「年月がルスカさんの怒りを氷解させていました。笑顔でドールマンと握手を交わし、ふたりの心はみるみる柔らかくなっていった。猪木さんを中心にルスカさん、ドールマンの3人を多くの人々が囲んでいました。まるで映画のワンシーンのような情景でした」
その後、ルスカは2001年に脳出血を起こし、14年にわたる闘病生活の末に亡くなった。大親友の訃報に接したドールマンの落胆を遠藤氏は聞いたという。
「俺とルスカの付き合いは長い。闘う者として練習も試合もいつも一緒だった。お互いに良い時期も悪い時期もあったが、亡くなってみると良い思い出しか残っていない。彼からは学ぶことばかりだった。ルスカは間違いなくオランダの歴史に残る人間だ。
突然、体が不自由になったことは本当に気の毒だった。あの強靭なルスカが車椅子に乗っていて、俺は愕(がく)然としたよ…。でも彼自身は障害の辛さを乗り越えていたと思うし、悔いはなかったと思う。彼は強い人間だった。大切な親友が逝ってしまった。いずれ俺も逝くさ…」
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ルスカが闘病生活に入る前に、大親友としての関係が復活していた。いい話じゃないか。
加えて、“オリンピック代表に選ばれたルスカ、干されたドールマン”という側面も長いスパンの中では一時的なものであることがわかる。ルスカはプライベートな理由もあり、柔道界での居場所をなくしていく。
・ タカーシ日記2004『指先から散弾銃』『1976年のアントニオ猪木』読みました
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ウィリエム・ルスカはミュンヘン・オリンピックの重量級と無差別級の金メダル保持者であるが、プライベートの部分から国民的英雄として、母国凱旋後にはかつてのアントン・ヘーシンクのようには扱ってはもらえなかった。妻が入院していたこともあり、そこから柔道で得た栄光や経験を最も効率よく行かせる次の舞台としてプロレスを選んだのだが、オランダにはプロレス文化が根付いていなかったことや、柔道金メダリストとしてプロレスに挑戦するという立脚点からスタートしたこともあり、柔道界にも居場所をなくし、プロレスラーとしても決して成功したとは言えなかったルスカの人生が克明に追いかけられている。
ルスカが国民的英雄として受け入れられなかったプライベートの部分とは、内縁の妻がオランダの飾り窓で働く娼婦であったことがその主な理由であり、それに加えてヘーシンクの発言力等から東京オリンピックの代表には予選で全勝したにも関わらず選ばれなかった。
そのルスカをなぐさめようとブルミン(ルスカの師匠であるジョン・ブルーミング)が弟子に加えてクリス・ドールマンとルスカ、ルスカの内縁の妻であるトレースと一緒にプールに時のエピソードが紹介されている。
プールで泳ぐルスカを見ながらトレースが「今日はわたしの最後のフリーデイだわ」とつぶやき、その言葉の意味をブルミンが問いただすと、ルスカが東京オリンピックを見に行き、日本で修行をするためにまた彼女が飾り窓に戻らなくてはならなくなったのだという。
ブルミンがルスカにそれが本当であることを確認したことで、ブルミンとルスカの師弟関係は終わってしまうのだが、自分にはこの情景がまるで映画の美しい1シーンのように思えてしまう。日本の昔ながらの人情劇で、没落した武士である夫のために妻が体を売るという話が、美談のように語られてきた文化的背景もあるのだろう。またルスカ自身にも妻を食い物にしようという意図はなかったのであろうと、この本を読む限りでは推測できる事もあるかな。
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ドールマンからすれば自身が柔道界から外れルスカが認められたとなるが、その後にルスカが外される。終始エリートとして扱われたのはアントン・ヘーシンク。
なお、『1976年のアントニオ猪木』では、ルスカの猪木との異種格闘技戦でのリハーサルについても言及されている。ルスカはドールマンを帯同した。
・ 1976年の猪木とルスカ - 本と奇妙な煙
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数日後、ルスカとドールマンは世田谷区上野毛にある新日本プロレスの道場に呼ばれた。この時初めて、クリス・ドールマンはこれから行われる試合の真の姿を知った。
「ルスカと猪木は、道場で2度リハーサルをした。その時私は、試合の結果があらかじめ決められていることを初めて知った。(略)
ドールマンによれば、ルスカがサインした新日本プロレスリング株式会社との契約には「猪木に勝ってはならない」という一項があったという。
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この経験のあるドールマンが、のちに前田と未来の格闘技を志向してファイティングネットワークをつくっているのだから、歴史というのは面白い。本人同士で直接託したわけではないのに、ドールマンはルスカの闘いを継承し、前田は猪木を継承したかのようでもある。
最新のマット界舞台裏でルスカ追悼特集。
・ '15年02月26日号Wルスカ追悼オランダ格闘技界DDT飯伏幸太UFC-WWE天龍ReinaSM戦 [wkbutaiura085.krm] - 440円 ファイト!ミルホンネット, 武道・プロレス・格闘技の”見る本”電子書籍出版&専門ニュース
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■谷川貞治の『プチ格闘技通信』第36回
今週、驚いたニュースは、ミュンヘン五輪金メダリストの赤鬼ウィリアム・ルスカが74歳で亡くなったことです。猪木さんの異種格闘技戦シリーズの最初の相手で、後の格闘技ブームのきっかけを作ったルスカ。また、ルスカと全日本プロレスに入団した東京五輪金メダリストのアントン・ヘーシンクが、のちの格闘技王国オランダを作ったと言っても過言ではありません。
特にヘーシンクが後にIOC委員となるエリートならば、ルスカは飾り窓の繁華街を牛耳るマダムを奥さんに持ち、親友のクリス・ドールマン、キックのトム・ハーリック、ヤン・プラスらは、この飾り窓の用心棒をしながら、格闘技の試合に出場するというアウトロー。しかし、彼らの作ったジムが後に、ロブ・カーマンやピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ラモン・デッカーといった世界を代表するスターを作り出したのです。
しかも、そういった強豪を製造したのは、オランダの格闘技ジムでしたが、彼らの強さを証明し、世界的に有名にしたのは、日本の格闘技市場でした。そういった関係からも、パイオニアであるルスカの死は、一つの時代が終わったことを感じさせられます。さて…
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崩壊寸前とも言われる格闘技王国オランダ。日本マット界にも多大な影響を与えてくれたのだった。
ルスカさんのご冥福をお祈りします。
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