胸のポケットに退職願を預かって曙にかけた言葉とは? 「悪役」背負いつつ相撲人生を全うした北の湖
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日本相撲協会理事長を務める元横綱・北の湖が20日、直腸がんによる多臓器不全で亡くなった。享年62。
現在はプロレスラーとして活躍する曙が、相撲界からの退職、格闘家転向を決意した際のエピソードを振り返っている。
・ 元横綱曙が弔問 格闘家転向の際に北の湖理事長の「温かさ」痛感(東スポ)
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曙にとって北の湖理事長は、相撲協会を退職してプロ格闘家に転向した2003年時の協会トップ。当時の北の湖理事長に退職願を提出した際「なかなか切り出せなかったが、理事長から『正直に言ってくれよ』と言われた」という。
北の湖理事長は退職願を胸のポケットに入れて「記者会見まで入れておくから気持ちが変わったらすぐに電話をくれ。この話(退職)をなかったことにするから」と話すと、「(格闘技に)進むなら精一杯頑張ってほしい」と激励までしたという。
数年後、プロレスラーとなって再会した時にも「頑張っているか」と気さくに声をかけてくれた。曙は「逆に温かく迎えてくれた。これからも気を引き締めて頑張っていくしかない」と亡き大先輩に今後の活躍を誓った。
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こんな包み込むような人だと言うことを知らなかった自分が恥ずかしくなる。相撲界を辞めて格闘技界に出ていくのは、北の湖の立場として歓迎はできないはずだろう。
子どもの頃にみた北の湖は、とにかく強い横綱だった。だけれども、最後に見せた強さがまた格別だったことに驚かされる。
・ 北の湖理事長の壮絶な最期「病院でジッとしているだけなら、ただ死ぬのを待つだけだ!」(東スポ)
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今場所も初日から亡くなる前日の12日目(19日)まで、幕内後半の取組中に理事室で報道陣に取材対応。顔色こそ優れなかったものの、はっきりとした口調で取組ごとの感想などを述べていた。横綱白鵬(30=宮城野)が10日目に奇襲の「猫だまし」を見せると、いつになく強い口調で「横綱としてやるべきことじゃない!」と毅然とした態度を見せていたほどだ。
しかし、その裏側で体は病魔にむしばまれ、とても本場所に顔を出せるような状況ではなかった。実際、角界内では九州場所が始まる以前から、北の湖理事長の深刻な体調不安がささやかれていた。毎年、場所前に福岡で開かれる恒例の「横綱会」が中止となる異例の事態。維持員との交流会や福岡・住吉神社の横綱奉納土俵入り、力士らの安全を祈願する土俵祭りなど協会の公式行事はすべて欠席した。
場所初日から公務に復帰したものの、協会あいさつなどの職務は事業部長の八角親方(52=元横綱北勝海)が代行。北の湖理事長は、病気からくる腰の激痛とも闘っていた。福岡国際センターの駐車場から理事室に入るまでの、約10メートルの距離さえ歩くことがままならないほど。付け人らに支えられながら2歩、3歩、歩いては立ち止まり、また数歩足を運んだところで手すりにもたれかかる…。そんな痛々しい姿も目撃された。実は、余命いくばくもないことは北の湖理事長自身が一番分かっていた。周囲からは九州場所そのものを休場し、病院で療養することを勧められていたという。しかし、北の湖理事長は「病院でジッとしているだけなら、ただ死ぬのを待つだけだ!!」と拒否。日本相撲協会のトップとして、あくまで本場所の土俵を見届けることを自らの意思で選んだ。
まるで、己の命を削るようにして職務を全うしようとしたが、その強い願いも及ばなかった。千秋楽まであと2日というところで力尽きた。まさに「壮絶な最期」と言うほかない。
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補足する言葉が見当たらない。
北の湖に立ち向かう輪島や千代の富士をボクは応援していたものだ。子ども心にそんなポジションじみたことは考えなかったが、「悪役」として土俵に立つ運命を背負っていた。
・ 北の湖敏満 - Wikipedia
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北の湖が観衆から「憎らしい」「ふてぶてしい」などと言われるようになった主な理由は、倒した相手が起き上がる際、北の湖が相手に一切手を貸さず、相手に背を向けてさっさと勝ち名乗りを受けてしまう態度が“傲慢”と見なされていたためであるという。しかし、この行動の理由について、北の湖本人は「自分が負けた時に相手から手を貸されたら屈辱だと思うから、自分も相手に手を貸すことはしない」と明確に説明していた。そうした彼の人柄をよく知る角界の関係者たちの間では誠実な力士として高い評価を受けていたものの、一般の観衆からは悪役のような扱いを受けることが多く、1960年代に子供が好きだった物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、子供が嫌いな物として「江川・ピーマン・北の湖」という呼び方が揶揄的になされた。また、北の湖と同時代には、絶大な人気を誇った美男力士(貴ノ花・千代の富士・蔵間など)が多く、そういった人気者を容赦なく倒す北の湖は必然的に「敵役」と見なされる運命にあった。それでも逆に、真摯に土俵を務める北の湖の姿や圧倒的勝負強さに魅了される好角家も少なくなかった。
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いま思えば、ヒールである北の湖に立ち向かう力士たちがいることで相撲人気が高まり、それでも北の湖が強いままで居続けることで相撲界に説得力が生まれていた。天龍源一郎に対してジャンボ鶴田が立ちはだかったことに似ている。
心からご冥福をお祈りします。どうか天国で安らかに。
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>> 北の湖敏満 - Wikipedia
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