まだまだ出てくる猪木アリ戦40年目の真実~猪木「頼みますよ、部長」アリに高見山をぶつけるテレ朝計画に横ヤリ
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実現から40周年を迎えたアントニオ猪木vsモハメド・アリ。26日、当サイトなりに「アントニオ猪木vsモハメド・アリ40周年~視聴者を揺るがした4オンスグローブ説はどこから来たのか」と40年目の検証を行ってみた。ところが、ファンにとっては“歴史的”ともいえるエピソードがまだまだ出てくるから面白い。
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全文はリンク先で確認を。以下は抜粋してダイジェストとなる。
・ モハメド・アリvsアントニオ猪木 40年目の「ある真実」~猪木戦より先に浮上した、幻の異種格闘技構想 現代ノンフィクション 現代ビジネス [講談社]
・ モハメド・アリvsアントニオ猪木「40年間語られなかった、ある真実」【後編】『ワールドプロレスリング』初代プロデューサーの回想 現代ノンフィクション 現代ビジネス [講談社]
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(猪木「(アリ戦の)きっかけというのはサンケイスポーツだったかな」)
「クレイ、日本人に挑戦」という見出しの、サンケイスポーツの記事である。
《「もしオレに勝ったら三億円。負けても三千万円出そうじゃないか」プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのカシアス・クレイ(モハメッド・アリ)が、われと思わん日本人選手と対戦しようといい出した。話を持ってきたのは、先ごろ米国から帰った日本アマレス協会の八田一朗会長。クレイは日本の有望選手を育て、最終的にタイトルマッチをやろうというのだ。
「日本の有望選手をオレの手で育てる」とまで約束したのだから八田会長もびっくり。「オレは口に出したことは必ず実行する男。ぜひ良い選手を紹介してほしい」とたのまれた。
クレイの話を聞くなり、「ほ、本当ですか」と身を乗り出したのはマックスボクシング・クラブの溝口宗男会長。というのも、溝口会長のもとには、日本で初めて“世界”に通用しそうなヘビー級ボクサーがいるのだから無理もない》(昭和50年3月7日付/サンケイスポーツ)
つまりこの記事からは、単に日本人と対戦することより、日本でヘビー級ボクサーを育成して、将来的にビジネスできまいか値踏みするアリの思惑がうかがえる。新間寿が言うように、100万ドルを賭けるなどとは言ってなければ、猪木の言うように、東洋人を特別馬鹿にしているわけでもなかったのだ。
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そして、ここで驚くのは、アリの発言に対して、早速名乗りをあげた二人の日本人の談話を、サンスポが報じていることである。
「三億円? もし本当ならオレがやってやる。グローブつけてもかまいませんよ。場所は日本でも米国でも」
と語ったのが、なんとジャイアント馬場。
「三億円なんていらないよ。クレイが“世界で一番強い”っていってるそうじゃないか。冗談じゃないよ。あんな手袋つけて何が世界一だ。素手でやろうじゃないか、素手で」
と息巻いているのが、アントニオ猪木なのである。つまり──、
「八田一朗が書いたサンケイスポーツのコラムを読んだ猪木が、アリへの挑戦を決意した」という従来の定説は正確ではなく、
「八田一朗から話を聞いたサンスポの記者から、馬場と猪木はアリの発言を知らされた」
とするのが正しいのだ。
一見、些細なことのように思えるかもしれないが、実はここが重要な意味を持つ。
なぜなら、アリの発言に対し、猪木だけが特別な反応を示したわけではなく、馬場も十分特別な反応を示していることになるからだ。
もちろん、馬場のコメントはリップサービスに違いないが、猪木のそれも、リップサービスの域を出るものではない。
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気になる事実を、明かさねばならない。八田一朗がアリの発言を直接伝えたのは、このサンケイスポーツの記者だけではなかったのだ。
この時期、NET(現在のテレビ朝日)の運動部長で『ワールドプロレスリング』の初代プロデューサーをつとめていたのが、永里高平なる人物である。
アメリカから帰国した八田一郎に呼び出された永里は、アリにまつわる話を聞かされたという。
「アリがまた日本で試合するって言っている。それも具体的な話で進みそうだ。どうだ、お前の会社(NET)でなんかやれんか。なんなら口を利いてやる」
そんなとき、永里の脳裏に、一枚の写真の残像が蘇った。
4年前のマック・フォスター戦で来日したアリの歓迎レセプションパーティの席上に居合わせた大相撲力士の高見山大五郎が、アリにおどけてパンチを打つ写真である。オーバーアクションで応えるアリ。その光景に列席した誰もが沸き、誰もが興味深く眺めた。
「(フォスター戦で日本に行く際には)スモウレスラーのタカミヤマと会いたい」
というのは、アリのリクエストだった。
「これだ!」
永里は閃いた。というのも、『ワールドプロレスリング』と『エキサイトボクシング』のプロデューサーであった永里高平は『大相撲ダイジェスト』の生みの親にしてプロデューサーでもあったのだ。
「アリと高見山を戦わせよう!」
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そのプランを持って、永里はまず常務の三浦甲子二(のちテレビ朝日専務取締役)のところに行った。三浦は大喜びだったという。
「でかしたザト、よくやった。その話進めろ」
とにもかくにも、常務である三浦のお墨付きを得た永里は、春日野理事長のもとにこの話を持って行った。まずは酒の席だったという。
「アリとジェシー(高見山の本名)を戦わせたいんだけど」
そう水を向けると、春日野は驚いた表情で永里の顔をまじまじと見つめたという。
「ザっちゃん、本気かい」
「本気だよ」
「でも、協会の面々がなんて言うか」
「理事長の権限でやったらどうだ」
「でも、失敗したら……」
「ウチが最大限の手助けはする。三浦も乗り気だ。局をあげての大プロジェクトにする」
失敗したときのリスクを、春日野は躊躇していたと永里は回想する。当然であろう。
「でも、こういうときは強気で押すしかないんだ。ここで投げたら他局が持っていくかもしれない。せっかくのアリというオプションを『企画が通りませんでした』って言って手放すわけにいかんもんな。だから、栃錦(春日野)からは、なんとかYESの言質をとった」
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しかし、周知の通り、「モハメド・アリ対高見山大五郎」の夢の一戦は実現しなかった。では、なぜここから、アリの対戦相手が、アントニオ猪木になったのか。
ある朝、永里が出社すると、デスクの前に一人の大きな男が立っていた。特徴的な顔の輪郭から、正体は一目瞭然だった。──猪木である。
「部長、冷たいじゃないですか」
例の太陽のような笑顔で言ってきた。
「なんのことだ」
トボけたのではなく、本当に身に覚えがなかったのだ。すると猪木は、
「水くさいなあ。アリの件ですよ。なんで僕に黙ってるんですか」
(なんでこいつが知ってるんだ)
と、思った瞬間、ピンと来た。
(あ、三浦のオヤジか!)
例の三浦甲子二が、終生猪木を寵愛していたことは、多くの関係者が証言している。
とはいえ、自分までが、猪木のペースに乗せられるわけにはいかない。
「ああ、あれは、まだ何も決まってない」
すげなく答えると、心中を見透かすように、永里をじっと見つめては、ニヤッと笑うと、「頼みますよ、部長」と言って、猪木はさっと立ち去った。
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生前の永里高平は次のように振り返る。
「とにかく、アリ対高見山を早くに決めてしまいたかった。でも……うまくいかない予感がしたんだよ。虫の知らせというか」
予感は現実となる。日刊スポーツが一面で大々的に、こんなことを報じた。
《高見山 プロレス転向 夏場所後にもスピード引退へ
ハワイ出身の人気力士、高見山大五郎(三〇)=東前頭三枚目、本名、ジェシー・クハウルア=がプロレスラーとして登場することになった。
これは、昨年十一月の九州場所直後、ハワイの某有力プロモーターと高見山の間に米国人弁護士が立ち会って「引退後プロレスラーに転身する」という契約が取りかわされていた事実がこのほどわかったもので、相撲引退後はホノルルに高見山レスリング・ジムを開設、準備が整い次第旗揚げする予定。引退の時期は本場所の成績次第とみられるが、早ければ五月十一日からの夏場所終了のケースもあり得る》(昭和50年5月1日付/日刊スポーツ)
まったく青天の霹靂だったと永里は言う。噂レベルの話ではなく、実現寸前だったからだ。
「新聞に出る2週間程前かな、栃錦から泣きそうな声で電話がかかってきて、『あの話はなしにしたい。それどころじゃなくなった』って。ジェシーは契約書に本当にサインしていたらしい。それで協会は慌てたんだ。ハワイのコッチ(ギャング)と話をつけなきゃいかんとか、大変だったとも聞いた」
騒ぎを聞きつけた三浦は、
「これでジェシーは難しいんじゃないか。猪木でいいだろう、異論はないよな」
と、なだめるように言ってきたが、すぐに従う気にはなれなかった。
この案件は自分が持ってきたという自負があった。主導権を握られたくもなかった。背に腹は代えられず、一度は取り下げた日本人ヘビー級ボクサーとの対戦に計画を変更する。
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その準備を進めていた永里を、1カ月後の6月9日、さらなる青天の霹靂が襲う。
《五月十五日ロン・ライルの挑戦を十一回TKOに退けたアリは、七月一日マレーシアのクアラルンプールでの欧州ヘビー級チャンピオン、ジョー・バーグナー(英国)とのタイトル戦をひかえているが、マレーシア入りする途中、九日午後三時四十分羽田着の日航機でフラリと東京に立ち寄った。
しかし九日夜、高輪プリンスホテルで行われた記者会見で、新日本プロレスの杉田渉外係からアントニオ猪木の“十分間でお前をマットに沈めてみせる”という挑戦状を渡され「オレなら五分でやっつける」と受けて立ち「バーグナーとの試合が終わったら相談しよう」といきまいた》(昭和50年6月10日付/毎日新聞)
また、皮肉なことに、こうも報じられた。
《この“夢の対決”の放映を予定しているNETテレビでは十二月三十一日夜の「紅白歌合戦」の強力な裏番組としてぶつけるプランを持っている》(昭和50年6月10日付/日刊スポーツ)
永里は言う。
「これはアリへのあてつけというより、俺に対するあてつけのような気がした。でも、おそらくこの時点では、猪木も本気でアリとやれるとは思っていなかったはずだよ」
しかし、報じられたインパクトは大きかった。この翌日、デスクの電話が鳴った。出なくても相手は判った。
「まあ、そういうことだ。ザト、協力してくれ。猪木がアリにコブラツイストをかけたり、バックドロップで投げたりするんだ。面白そうだろ。これは常務命令だ。頼んだぞ」
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テレビ朝日の運動部長がアリの相手に高見山を計画。それを嗅ぎ付けた猪木が「水くさいなあ。アリの件ですよ。なんで僕に黙ってるんですか」と横取りを示唆する。
その後の高見山プロレスラー転向報道により、アリ戦が消滅。テレ朝にアリ招聘の脈があると踏んでいた猪木は、高見山戦の後退を見届けるやいなや行動に出た。それが、あの“応戦状”だったわけなのだ。
高見山戦が実現していたらアリは猪木と闘っていなかったかもしれないし、あるいは高見山戦後に猪木と闘っていたかもしれない。とにかく、物事の流れは猪木アリ戦実現へと傾いた。40年経ってボクらが語ることができている背景には、そんなエピソードもあったんである。
アリとの対戦に(テレ朝との連携があったにせよ)自ら動いた唯一の日本人が猪木という事実は、もちろん変わらない。だけれども、このような駆け引きをしていたとなると、印象は変わってくるなぁ。
ともすれば、猪木アリ戦は猪木の表裏が投影された一大作品だったのかもしれない。
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関連して情報求む。ネットを検索したら出てくる記述。
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「イノキボンバイエ」のフレーズを持つ入場曲『炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~』は、元々モハメド・アリの伝記映画『アリ・ザ・グレイテスト』の曲であったが、猪木と対戦したアリが、猪木に贈りアレンジしたものとされる(真相は猪木のマネージャー新間寿がアリ側にお願いして無理矢理そういうことにしてもらった)。
猪木ボンバイエがアリから贈られたってのも嘘で新間が大金払ってしつこく頼んで奪ったものなんだってね。
猪木ボンバイエは
最初 アリ側から猪木に贈られた事になってますが 本当は猪木の右腕、新間寿氏のウソで 後にアリ側に何度も使用出来るように依頼して許可を得た事を新間氏が公表しました。アリ側もテレビの取材に 何度もしつこく使わせろと言ってくるから仕方なく許したんだよと言っています。アリ側の証言に新間氏も白状したわけです。かなり昔の話ですが………
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こちら新間寿氏が明かしたメディアが何かをご存知の方、いらっしゃいますか?
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