モハメド・アリ死去~「猪木vsアリ戦40周年」「中邑真輔キンシャサ誕生」が話題の2016年、お別れは突然に
偉大なヘビー級ボクサー、モハメド・アリが3日、敗血症性ショックで亡くなった。享年74。
・ アリ氏、10日に故郷ケンタッキー州ルイビルで公葬 - ボクシング 日刊スポーツ
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3日死去したボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン、ムハマド・アリ氏の公葬が10日に出身地の米南部ケンタッキー州ルイビルで営まれることが決まった。
ビル・クリントン元大統領らが参列し弔辞を読み上げる予定。アリ氏の家族の代理人が4日の記者会見で明らかにした。死因は敗血症性ショックだった。
代理人によると、アリ氏は呼吸器系の病気でアリゾナ州フェニックスの病院に入院、当初容体は安定していたが悪化し、家族にみとられながら3日午後9時10分に亡くなった。
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・ ムハマド・アリ氏が死去 ローマ五輪で金、徴兵拒否、猪木氏と異種格闘技戦 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
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ボクシングの元ヘビー級世界王者のムハマド・アリ氏が3日、呼吸器系の病気で米アリゾナ州フェニックスの病院に死去した。74歳だった。家族に近い関係者が明らかにした。
アリ氏は1942年1月17日、米ケンタッキー州ルイビル生まれ。12差の時父に買ってもらったばかりの自転車を盗まれ“盗っ人をとっちめるには強くならなくては”と白人警官に諭され、その警官が教えていたことからボクシングに興味を持ちキャリアをスタートさせた。
60年のローマ五輪ライトヘビー級で金メダルを獲得、帰国後高級レストラン入店を人種差別で拒否され、金メダルは川へ投げ捨てた。64年には当時無敵を誇ったソニー・リストンを7回TKOで下して世界、ヘビー級王座を獲得、その後9回防衛を果たした。ベトナム戦争への抗議の意味で徴兵拒否し王座をはく奪されたが、3年以上のブランクを経て復帰、74年にジョージ・フォアマンを逆転KOで下す「キンシャサの奇跡」により王座返り咲きを果たした。
76年にはアントニオ猪木(現参院議員)との異種格闘技戦を東京で行い、15回引き分けに終わった。
81年に引退。90年には湾岸危機の際し、イラクのフセイン大統領(当時)と直接会い米国人人質の解放に成功、96年のアトランタ五輪では、パーキンソン病を患った不自由な体で聖火の最終点火者を務めた。
私生活では4度結婚し、1人の養子を含めて子どもは9人、3度目の妻との間の娘レイラは女子ボクサーとして世界王者に就いた。
2014年、15年にも尿路感染症のため入院。最近では、米大統領選の共和党指名を確実にしたドナルド・トランプ氏が昨年末にイスラム教徒の入国禁止を唱えた際に、暗に批判する声明を出した。
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2016年というこのタイミングで、お別れは突然に。
アリによる「キンシャサの奇跡」が、今年に入ってから渡米(WWEから新日本に移籍)した中邑真輔の必殺技のネーミングにつながった。
・ 中邑真輔の必殺技は「ボマイェ」改め「キンシャサ」 - プロレス 日刊スポーツ
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中邑真輔(36)が衝撃デビューを飾った。1日(日本時間2日)、米ダラスで開催されたWWE傘下のNXTテイクオーバー大会の第3試合に出場。実力者サミ・ゼイン(31=カナダ)とのエルボーの打ち合いで鼻血を流しながら、最後は必殺のボマイェ(膝蹴り)で仕留めて約20分の激闘を制した。
WWEは中邑の必殺技ボマイェを「キンシャサ」と名付けて紹介した。ボマイェの語源は、アントニオ猪木入場曲「イノキ・ボンバイエ」。76年の異種格闘技戦で対戦したボクシングの元世界ヘビー級王者のアリから贈られた曲だ。ボンバイエはコンゴ共和国の言葉で「殺せ」などの意味。アリは74年、コンゴ共和国のキンシャサでフォアマンを破った「キンシャサの奇跡」と呼ばれる一戦の際に「アリ、ボンバイエ」と声援を受けたといわれている。
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今年はアリとの世紀の一戦からの40周年が話題。猪木は4日、“黒マフラー”で会見した。
・ 猪木氏、アリ氏追悼「元気があれば…」-ファイト-デイリースポーツ online
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「冗談が好きで、ちゃめっ気がある」というアリ氏の人柄。「彼の結婚式に招待されると、ホテルで隠れていて後ろから飛びかかって首を絞められた。『お互いあれで良かったよな』と言ってきたので『オレもそう思うよ』って。その時にお互いを認め合って、『あんな怖い試合はなかったよ』と言ってくれた」との思い出を披露した。
猪木氏は後に政界に進出。「外交をやっていますが、アリとやったという説明があると、相手が姿勢を直す。アリとの戦いのおかげで人と違った政治、外交ができる」と、アリ氏の存在の大きさに感謝した。
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猪木・アリ40周年ということで、今年に入って6月26日の『世界格闘技の日』が制定されたばかりでもある。その日を1回もアリは存命で迎えることができなかった。
現在、新日本プロレスが「ストロングスタイル」という商標を持ち、WWEが「キング・オブ・ストロングスタイル」を取得したと言われている。猪木はアリと闘ったことで格闘技寄り路線を印象づけ、新日本のビジネスを大きくした。その血筋を中邑にみる向きもある。つまりは、アリは新日本の歴史に大きな影響を与えている。
40代プロレスファンにとっては、アリを生で観たというのは1998年の猪木引退試合ということになるだろう。東京ドームでの猪木入場直前の聖火台点灯を、なんと来日してくれたアリが担ってくれた。1996年のアトランタ五輪での自身の“聖火の最終点火者”を、猪木のために再現してくれたのだ。アリは友情を大事にし、サービス精神に富んだ男だ。
ボクシング界におけるアリには、キャッチコピーがある。
・ アリ氏逝く 20世紀象徴する英雄 差別と闘い、鮮やかな復活劇も (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
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「蝶のように舞いハチのように刺す」と形容されるフットワークを使ってのボクシング・スタイルはパンチだけに頼っていた当時のヘビー級のボクシングにとっては画期的なスタイルで、常に相手を見下す“ビッグマウス”も加わって20世紀を象徴するスポーツ界のスターとなった。
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有名な“金メダル川投げ捨て”は、後に本人から訂正されている。ただ、数々の場面で主張が行動化し、世間に大きな投げかけを行った偉大な人物だ。
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アマチュア生活は6年。その集大成が1960年ローマ五輪で、ライトヘビー級で優勝して金メダルを故郷に持ち帰った。しかし当時はまだ黒人への人種差別が色濃く残っていた時代。カシアス少年は米国内での大会の際にはホテルへの宿泊を拒否され、車の中で寝る日々だった。五輪の金メダリストになったのに、地元の商工会議所は賞状を1枚贈っただけ。歓迎式典は夕食会を含めて何も行わなかった。揚げ句に市内のレストランに友人と一緒に入った時に店の主人が料理を作ることを拒絶。バイクを乗り回していた白人のグループと店の外で乱闘となり、その“心の傷”はトラウマとなった。
自伝ではこのあと金メダルを市内を流れるオハイオ川に投げ捨てたと記されているが、その後アリ氏は「どこかに置き忘れた」と訂正。結果的にローマ五輪の金メダルの所在は今も不明だ。
そしてプロに転向。1964年には試合前のオッズで“8倍”という圧倒的に不利とされながら王者ソニー・リストンを破ってヘビー級王座を獲得。人種差別への抗議の意を示す中で「ブラック・ムスリム」に入信し、名前をムハマド・アリに変えた。しかし67年にはベトナム戦争への兵役を拒否してタイトルとボクシングのライセンスをはく奪され、3年半に渡ってリングから離れた。
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「アリ―猪木」戦の告知ポスターを描いた俳優の石坂浩二氏がエピソード明かす。
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写真集。オバマ大統領ら追悼コメント。
・ 現役で華麗ファイト、後年は難病に/アリ氏写真特集 - バトル 日刊スポーツ
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リング内外で脈々と続いた闘いをリスペクトしたい。モハメド・アリよ、今まで本当にありがとう。
>> モハメド・アリ - Wikipedia
>> アントニオ猪木 IGFプロレスリング公式
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