日の丸タイツを継承した柴田勝頼「生きるぞ!!」と病床から綴る~師匠・船木誠勝「明日また生きるぞ!」から20年
新日本プロレス4・9両国国技館大会。柴田勝頼は試合後に倒れたことで、コメントブースにたどり着けなかった。救急搬送され、そのまま「硬膜下血腫」による緊急手術を受ける。
数日後の報道では、「意識もしっかりしており会話も可能」「右半身のまひも回復の傾向」「試合の記憶もはっきり」「良好な経過」との経過が伝えられたものの、オカダ・カズチカ戦以降の“言葉”は出ないまま半月が過ぎた。
“沈黙”が破られたのは25日24時(26日午前0時)のこと。有料モバイルサイト「プロレス&格闘技DX」での柴田の日記『REAL TALK』が更新された(毎週水曜更新だが2回お休みを挟む)。
・ プロレス-格闘技DX スマートフォンサイト
※プロレス/格闘技DXはモバイルサイトとなっております。従来の携帯電話(フィーチャーフォン)かスマートフォンでご利用ください。
有料サイトゆえ、全文や言い回しは各自でご確認いただきたい。柴田本人からは2週間に渡るICU含む入院の継続と5月2日の再手術予定が明かされた。前回の手術で外した一部の頭蓋骨を戻すのだという。痛みをこらえながらの過酷な状況だが、日記は「生きるぞ!!」と締め括られた。
公式サイトや東スポを飛び越えて、スクープとかそういうレベルも遥かに越えて、自らによるストレートな記載。REAL過ぎるTALK。
柴田の記載は終始ショッキングなものであったが、自身の状況をしっかりと把握したうえで文章を綴っていることが確認できた。ここから痛みを和らげ、五感を徐々に戻していく回復力を「人間」は持っている。柴田は普通の人間どころではない、レスラー…いや、ザ・レスラーなのだ。安心は禁物だが、日々祈りながら回復を信じたい。
締め括りの“セリフ”は、かつての師匠であり日の丸タイツを履いた船木誠勝とのつながりを想起させる。20年と8か月前のこと。
・ 船木誠勝プロレス復帰「明日また生きる!ふたたび。」【三田佐代子の猫耳アワー出張版】 FIGHTING TV サムライ スポーツナビ+
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1996年9月7日、船木誠勝vsバス・ルッテン。ギリシャ彫刻を通り越してもはやマンガみたいな筋肉を持つ船木選手が、そこにはいました。褐色の肌に黄緑色のタイツがよく似合うその選手は、その時ありとあらゆるジャンルをむさぼるように見ていたどんなタイプのプロレスラーとも違う輝きを放っていました。
皆さんよくご存じの通り、ルッテンの掌打の嵐が船木選手に降り注ぐ壮絶な試合展開で、最終的に船木選手はロストポイントゼロでTKO負けを喫します。端正な顔は腫れ上がり、鼻血を流しながらでも試合後に船木選手は叫ぶのです。
「自分がどうなってもいいんだよ。一生懸命生きれば結果は絶対嘘つかない。これが俺の結果だよ。いま戦って思うことは、悔いはなかったってことです。だけど俺ね、やり残したこといっぱいあるんだよ。こんなところで辞めてられねえよ!
明日から、明日からまた生きるぞ!」
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日の丸タイツは柴田の2017年バージョンだったわけだが、これほどハマるシチュエーションで「生きるぞ!!」と口にすることになるとは…。
検索していると、柴田が総合格闘技に取り組んでいたときの船木の2007年インタビューにたどり着いた。この時点で柴田の“プロレス復帰”は想定されていなかったものの、柴田と船木はプロレスへの意見交換を絶やさずにいた。
・ 柴田勝頼と船木誠勝が変えるべきもの カクトウログ
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・ (船木と柴田、ふたりが志向するプロレスは)予定を立てたような動きがない。無理やりにでも相手に技をかけたり、かからないように防御するといった、相手の動きを手探りで確かめながら試合をする、昔のような“緊張感”のあるもの。
・ (具体的には、新日本プロレス初期にアントニオ猪木が活躍していた頃の試合。旗揚げのカール・ゴッチ戦を筆頭に、グレート・アントニオ、パク・ソンナン、ローラン・ボック……ほとんど技をかけさせてもらえない“勝負”をしているもの)ああいうものが今残っているのであれば『やりたい!』と常々ふたりでいっている。
・ アクロバット的なもの、派手な大技が乱発されすぎているような気もするが、それが今のスタイルなら、それはそれで進化してきた形。いきなり『昔に戻れ』といわれてもお客さんも驚いてしまう。パンクラスの“秒殺劇”も、唐突すぎて認知してもらえなかったら2~3試合で(未来が)終わっていたと思います。スタイルが残るかどうかは、お客さんが認知してくれるか否か。プロレスがどう進化していくかという点で、もしファッションのように回帰していくことがあるなら(初期新日スタイルの再現も)ありえるかもしれない。
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2012年に新日本プロレスに再上陸した柴田だったが、IWGPヘビー級戦にたどり着くまでに5年を要した。それだけ柴田の主張が新日本のセンターに立つのは“難作業”だったということだ。
黒パンのままで立った、超満員札止めのリング。新日本プロレス4・9両国国技館大会のメイン。どうだろう? プロレスには伝統と歴史と変遷があり、レスラーたちにはとてつもない根性があることを、柴田は改めてファンに伝えたのではなかろうか。ファン歴に関係なく響かせたのではないだろうか。そしてオカダに身をもってプロレスを伝承したんではなかろうか。
柴田勝頼よ…生きろ!!
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