三沢光晴は50歳誕生日に引退しようとしていた~ナンバー追悼号&Gスピリッツ三沢特集レビュー
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かなり遅いタイミングとなったが、9月発売分の三沢光晴さん特集号に触れておきたい。
▼new!Number PLUS 2009 プロレスに殉じた男三沢光晴 詳細は[コチラ]9月25日発売!人間としての三沢~リングの下では下ネタ好きの寂しがり屋 残された者たち 小橋建太「三沢さんの覚悟に負けたくない」 齋藤彰俊「死を背負う意味を問い続ける」 川田利明「いるだけでよかった。再び戦えなくても」 田上明「今だから分かる社長の覚悟」
『Number PLUS 2009 プロレスに殉じた男三沢光晴』。さすがに日本を代表するスポーツ誌がつくったものであって、かなりの意欲作であり、三沢さん追悼号の中で最高傑作がこれであると言って差し支えないだろう。
まず、あの日(2009年6月13日)に何が起こったのか。三沢さんが亡くなったリングでの状況について、これまでにはなかった証言を掘り起こして核心に迫っている。社長の知り合いのお医者さんが2人観戦に来ていたので、けっしてアナウンスで呼んだのではなく声をかけたという話など。どんな蘇生措置をしたのかという点も生々しい。
亡くなる4日前、9日に三沢さんがノア仲田龍氏に打ち明けていた話についても、触れられている。
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「社長が50歳の誕生日に終わる、辞めると言った。でも『悪いけど、サヨナラツアーみたいなのはしないよ。試合が終わった後に、今日が最後だったんだよと言って、おしまい、みたいなことにする』とね。本当はもっと早く辞めたかったんだろうけど、そうもいかないし、社長としてそれが最大限の譲歩だったんだろうと思う」
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47歳の誕生日をもう少しで迎えるところで亡くなった三沢さん。つまりは、あと3年で引退しようと決意していたことになる。この“亡くなる直前に引退試合についての話を仲田氏としていた”件については、各種スポーツ紙では三沢さんは「年内引退を決意していた」という主旨で報道されていたのだが、真相は3年後だったようだ。
さらに、レスリング部時代におけるプロレスへのこだわりも「天才レスラーのルーツ」として追っている。器械体操の経験もあり、三沢さんは高校生時代、すぐれたレスリングの素質を発揮していた。体のコントロールの仕方がうまいということで、先生としては将来的にもレスリングに目を向かせたいと思っていたほどだったという。だけれども、三沢さんにとってはプロレスへの通過点でしかなかったのだ。
巻頭では、三沢さんを考えることはプロレスを考えることである、というスタンスが表明されている。これはもうその通りであって、そのスタンスに恥じない追悼号だと中身についても認識させられた。
もうひとつ、『Gスピリッツ』誌も三沢さん追悼に際して特別号を出している。
▼new!Gスピリッツ Vol.13 三沢光晴を究める 9月30日発売!考察――「三沢光晴」と「命懸けのプロレス」三沢光晴 享年46歳――。2009年6月13日にリングで起こったあの悲しい事故は、我々に様々な問いを投げかけてくる。誰もが熱狂した四天王プロレスは間違いだったのか?天才レスラーの死から何を学ぶべきなのか?そして、彼は何を遺し、何を伝えたかったのか?
これがまた、四天王プロレスがどうやって生まれたのかなどの歴史が、背景や現場の声込みで拾われているのが興味深い。
そして、書は受け身の話題へと突入。これだけ受け身が大切なもので、プロレスの根幹にあるものだということは恥ずかしながら初めて認識させられた。こちらもぜひ、プロレスファンには目を通しておいてほしいと思います。
三沢さんの死から来月で半年になる。ファンとしても、忘れてはいけないものは考え続けていかないといけない。プロレス協会設置とは言わないけれども、健康管理への取り組みはもっとファンにもアナウンスして安心させてほしい。
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